東京湾謎の大量重油流出事故
あの日“カタストロフィ”は本当に起きたのか?(その二)
(社)日本海難防止協会
主任研究員 大貫伸(おおぬきしん)
謎のカタストロフィ徹底調査の開始
それにしても今日の鯛の喰いは「渋い」の一言に尽きる。かれこれ二時間半、竿先との睨(にら)めっこ状態が続いている。「鯛の反応は」と再び船長に声を掛けようと後ろを振り向いた刹那(せつな)、察していたかのように操舵室の窓が開き、今度は彼の方から声を掛けてきた。
「潮が動かんことにゃ、どうにもおえんよ。ところで例の話はその後どうなったんだおう、伸ちゃん」
「例の話……?」
「一緒に今年の初め、池内の爺様(じいさま)のところへ酒下げて聞きに行った、ほら、例の話だおう!忘れたかおう!」
すぐに記憶が蘇(よみがえ)った。
「おうおうあれか、カタストロフィの話か、あの話はそのうち折を見てきちんとまとめるつもりだ。最近忙しくてなかなか」
事実、私は最近忙しかった。週末の釣行だけを楽しみに、毎夜にわたる残業が暫くの間続いていた。
「けっ!そんな忙しい男が飽きもせず、毎週釣りなんぞに来るもんかおう!」
言われると当然予想していたことを船長は遠慮なく言い返してきた。
「ははは……、それもそうだな、わかったよ。ただし船長が鯛を俺に今日釣らせてくれることが条件だよ。俺を丸坊主にして帰すとなると、また来週も布袋丸に来なきやならないだろう。だから船長も俺の仕事のために協力してくれよ」
私も軽くジャブを船長に返した。
「おう、おう、おう、わかったおう!話をそらせるつもりだったんけどおう、結局その話に行き着くんだおう、伸ちゃんは。俺も性根入れてやっからおう、伸ちゃんも気合入れて掛かってくれおう!そろそろ、時合いだからおう!わかってんの?」
船長は「しまった!」という表情でそう言うと、再びピシャリと操舵室の窓を閉ざした。私も再び竿先との睨めっこに戻った。
一、二分が経過した。電動リールの五分計がピピッー電子音を鳴らし時の経過を告げた。五分に一度は繰り返さなければならないコマセ(鯛の寄せ餌として籠に詰めて海中に投入する冷凍アミ海老)詰め換えの時間が来たようだ。私はロッドキーパーにゆっくりと右手を伸ばした。
その瞬間であった。竿先が二度、三度、軽くお辞儀を繰り返したと思うや否や一気に海中に没した。ついに鯛が当たったのである。三メートル半の愛竿、グラスファイバー製のインストラクター・キャノラックが満月のような弧を描いた。無論、愛竿はすでにロッドキーパーを離れ、私の両手にしっかりと支えられている。
頭の中がすっかり空白となった。船長が先程言っていた例の話が私の脳裏にぼんやりと浮かんでは消える。
七十六年も前、東京湾ではカタストロフィが発生していたかもしれないのだ。
私は冷静になろうと深呼吸をした。まずは事実を確かめるべきだ。そしてこの報告書の一文を書くに当たっての然るべき出典資料が必ず何処(どこ)かで眠っているはずである。それも探さなくてはならない。
私はまず心当たりのある油防除専門家に片っ端から電話を入れた。