そこに描かれた人間はあまりに小さく、哀れな存在かも知れませんが、同時にそんな人間が限りなく愛(いと)しいと映ります。
さあ、ここで「海の文学への旅」に船出してもう一度、人間の存在の愛しさについて考えてみたいものです。
●さあ『古事記』からの船出
事の初めとして中国から文学が渡来してわが国最古の史書とな成った『古事記』から船出しましょう。和銅五年(七一二)に完成した『古事記』は上・中・下巻から成り、天地創造から国生みから天孫降臨までの神話の時代(上巻)、そして倭建(やまとたける)の物語を柱に国造りの過程をドラマチックに描きながら(中巻)、次第に神から離れた人間の歴史へと進みます(下巻)。
内容は恋あり涙あり、神の存在を色濃く出しながらも、古代人の感性を今に伝えてくれています。
そして倭建にこう自然の美しさを賛美させます。
倭は 国のまほろば たたづく青垣 山隠れる 倭しうるはし
さて『古事記』上巻の最後を飾るのは詩情豊かに語りあげる「海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)」兄弟の話です。ここでは「海」が重要なテーマとなって文学性豊な香りをかもし出します。あるいは、古代人はこのような海の世界を夢見、信じていたのかも知れません。強いあこがれをもって……。
兄の海幸彦は海で大小の魚をとり、弟の山幸彦は山で大小の獣をとっていたのですが、ある日二人の漁具と猟具を交換しようということになり、山幸彦は魚を釣るのですが一匹も釣れないばかりか、兄に借りた釣り針をも海で失ってしまいます。兄は怒って「元の釣り針を返せ」と迫ります。
困りはてた山幸彦が海辺で泣いていると、神が現れよい知恵を授けてくれます。小船を作って海に押し出せば、「味(うま)し御路(みち)あらむ。すなはちその道に乗りていでまさば、魚鱗(いろこ)の如(ごと)造れる宮室(みや)、それ綿津見神(わたつみのかみ)の宮なり。」と。
教えられた通り進むと、深海に綿津見神の宮殿があります。早速門前の柱の木に登った山幸彦は、水汲みに来た侍女に導かれ海神の女豊玉毘売(むすめとよたまびめ)に会い、海神の図らいで豊玉毘売と結婚、豪奢な生活の中で三年を過ごします。
この文学的な場面は、はるか後世、明治四十年、異才画家青木繁によって「わだつみのいろこの宮」として描かれました。青木は房州の海に潜り三年かけて完成したと伝えられる生涯の名作を残しました。(ブリヂストン美術館蔵)
さて幸福な生活の中での山幸彦は時折深いため息をつきます。不思議に思った毘売が問いただすと兄の釣針を失くし怒りを買っていると告げます。父の海神はすべての魚を集めて釣針を探し出し、潮満珠(しおみつたま)、潮干珠(しおふるたま)をお土産に地上に返します。山幸彦はそれを使って海幸彦の横暴を懲しめ王位もにつくのです。毘売は山幸彦の子を妊(みご)るのですが、お産の姿を山幸彦がのぞき見たというので、海の果ての交い路を閉めて永遠に海神の国に帰るのです。
『古事記』が伝えるこの詩情豊かな伝承は、古代人がもつ?海?に対する幻想的なあこがれと畏怖の感性を私たちに伝えてくれます。それはまた、海の偉大さを私たちに教えくれる最古の文学でもあるのです。(第一話 終)