文学散歩
海の文学への旅
第1話 古事記
〜海幸彦と山幸彦〜
尾島政雄(おじままさお)
岡安孝男(おかやすたかお)画
●さまざまな海への感性
春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉 蕪村
ご存知与謝野蕪村(一七一六〜一七八三)の名唱です。
美しい日本語の調べに乗せて、私たちを陽光にきらめく静かな海へと誘います。語感がかもしだす波の静かなうねり、眠気を誘う春光の柔らかい日射し、そして大きく大きく果てもなく広がる海のイメージ――まさに一幅の絵のような風景が展開し心を和ませます。海は何ものをも、すべて包みこんでしまう懐の深さを持っているのです。
浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、
やよ待てわれも山降りてゆかむ
若山牧水
山国育ちの旅の歌人若山牧水(一八八五〜一九二八)が母に連れられて初めて海を見たのは、七、八歳のころです。この感受性の豊かな少年は白い浪に異常なほどの感動を覚えます。
丘を越えて向うにをりをり白く煙いながら打ち上がってゐるものがある。何気なく母に訊くと、其処はもう海で、あの白いのは浪だと答えた。海! 浪! 私は思わず知らず舟の上に立ち上がった。
「おもいでの記」
牧水は、この海への感性を生涯心に持ちつづけ、数多くの絶唱を残しました。この一首もそのひとつで、寄せては返す浪の絶間ない躍動感に引かれて「やよ待て」おれも一緒にその躍動に入れてくれという心の衝動を色濃く出しているように思われます。
海は静かでもあり躍動するものなのです。
荒海(あらうみ)や佐渡に横たふ天河(あまのがは) 芭蕉
俳聖芭蕉(一六四四〜一六九四)は「奥の細道」の旅中、七月七日の七夕の前日、佐渡を目の前にした越後、出雲崎でこの名句を残しました。荒海で名高い日本海をへだてて横たわる佐渡を見て、悠大な景色の中での人間の小ささ、哀れさをにじませる句として評価の高いものですが、私には七夕の前日という時点を考えると、せめて一年に一度くらい海をへだてた佐渡(金山で苛酷な労働が強いられた)に"心の交い路"を架け渡したいという思いがあったように読み取れるのです。
そうです、海は心の架け橋にもなるのです。しかし荒い荒い面ももっているのです。
詩聖北原白秋(一八八五〜一九四二)もこう詠っています。
「海は荒海 向こうは佐渡よ すずめ啼け啼け もう日はくれた みんな呼べ呼べお星さま出たぞ」(「砂山」)
四季豊かな自然に恵まれた日本人ほど自然を愛する国民はいません。そして、この豊かな風土の中で展開される人間のさまざまな営(いとな)みを文学にし記録に止めてきました。とりわけ四面海に囲まれた日本民族にとって"海"は人間の喜怒哀楽のすべてを包みこむ存在でもあります。
静かな海、躍動する海、そして荒々しい海――いろいろな海とのかかわりを題材に日本人は作品を残してきました。