東京湾口に結集する釣人の数は四千人に達する。「鯛の数よりも釣人の数の方が圧倒的に多いのではないのか」と釣人誰もが妙に不安な衝動に駆られる。「船長、魚探(魚群探知機)の反応はどうなの。丹念に棚を探ってみても餌取りばかりだよ。今日は鯛のご機嫌があまり芳しくないようだね。いい加減いやになるな」
竿先に鯛からのシグナルがさっぱり現れないことに業をにやし、たまらず私は操舵室の船長に声をかけた。船長は魚探を見つめ、黙って首を傾げたままである。
昨今、魚群探知機、通称魚探の性能向上は目覚しい。ベテラン船長は魚探が映し出す複雑な像の中から真鯛の魚影だけを的確に捉え、自船をその潮上に据える。魚探の一点を見据えた船長が突然、
「船首(みよし)、面舵(おもかじ)のお客さん!あんたんとこに五キロはある大鯛が回ったおう!リールのドラグ緩めて気い付けてこらえておう!」
と叫ぶや否や当人の竿先が一気に海面に突き刺さる。そんな信じられない光景を目の当たりにしたこともあった。
「……時々、いい反応が出てくんだけどおう。潮が朝からさっぱり動いてねいし、第一、水温が昨日に比べ二度ばっか下がってんだおう。もうじき下げ潮きいて動き始めると思うよ。そのときが時合いだおう。しばらく我慢して丹念に誘ってみてくれおう」
渋い顔の船長が済まなそうに答えた。
遊漁船第十布袋丸の船長、本庄勇は昨年還暦を迎えた。言葉づかいはお世辞にもよい方とは言えないが、本人、決して悪気があるわけではない。
船長はいつも煮しめたような灰色の野球帽をちょこんと冠っている。潮焼けした赤銅色の肌が海で働く男の年期を物語っている。時々見せる屈託のない笑顔が妙に人懐っこいところが憎めない。
「常連さん」と「初心者」
遠い昔の話である。「遊漁は排他的な者達だけの特別な趣味である」と陰口をきかれた時代があったという。
当時、専門の遊漁船業というものはこの世の中になかった。職漁船が漁の合間に小遣い稼ぎのため副業的に客を乗せていたという。いや、正確には「乗せてやっていた」と言ったほうがよいのかもしれない。
職漁船に客を取り次ぐいわば斡旋業として「船宿」と呼ばれる商売があった。船宿では「常連さん」と称するセミプロ漁師達が幅をきかせ、新たに門戸を叩く新参者達をそう簡単に自分達の仲間として迎え入れようとはしなかった。
初心者の目の前で常連さんは、まるで本職と見間違うがごとく手慣れた動作で機械仕掛けの人形のように黙々と手釣糸を扱い、あれよあれよという間に樽の中を獲物で一杯(いっぱい)にする。
一方、初心者は見よう見まねで果敢に挑戦を挑むがまるで勝負にならない。初心者は常連さんから親切に教えを請えるわけでもなく、ひたすらその仕掛け・釣技を脇から盗み見せざるを得ない。
「潮が結構いってるようだ。三匁の中おもり一つ付けて、とりあえず半尋、棚下げてみっか」
時々、ぼそりと常連さんが呟く独り言を聞き逃すまいと、初心者は必死で耳を傾ける。
己の技を磨くための厳しい修行が船上では延々と続く。「先輩板前が料理した煮物の鍋を洗いながら、鍋底に残された煮汁を指先で舐めて技を盗む」かつての新前料理人の厳しい修行と相通ずるものがあった。
こうした荒行に耐えた一握りの好き者だけが、やがて一年後、いや時として二年も三年もかかり、やっと常連さんの仲間入りを果たすことができたのであった。