冬場、真鯛は水深百メートルを超える暗黒の海底でじっと越冬する。低水温のため、この時期真鯛の活性は極めて低下する。
前の晩、釣人が丹念にこしらえた仕掛けの先端に、申し訳程度にちょこんと朱色のオキアミが付けられる。自称太公望達が自信を持って差し出すこの餌に冬鯛達はめったなことでは興味を示してくれない。木枯らしに吹かれながら空のクーラーボックスを一人担ぎ、重い足取りで家路に着く空しい釣行が幾度となく続く。
やがて春の訪れとともに、真鯛は産卵のため大挙して水深三、四十メートル川の浅場へと移動を開始する。冬の鬱憤(うっぷん)を一気に発散させるがごとく餌の荒食いを始めるのだ。待ってましたとばかりに釣人が愛竿に気持ちを託し真剣勝負を挑む。これを称してわれわれは乗っ込みの真鯛釣りと言う。
海中の春の訪れは「おか」に遅れること約二ヶ月、例年、乗っ込みは四月下旬から五月にかけて始まる。古来、変わることのない自然界の掟である。
松輪瀬に代表される東京湾剣崎の南東側に点在する一連の岩礁帯は、江戸時代から乗っ込み真鯛の好漁場となってきた。雄の乗っ込み真鯛は黒味を帯びた婚姻色に輝き大きな白子を抱く。雌の場合は鮮やかな桃色に輝き一対のはちきれんばかりの真子を孕む。文字どおり桜鯛とも称される。雌雄いずれの真鯛もでっぷりと肥え、釣人ならずとも食通達にとっては垂涎(すいぜん)の的となる。
運の良い釣人が針掛かりさせた真鯛の標準サイズは、この時期、最低でも軽く二キログラムはある。時に五キログラム、七キログラムを超えるモンスター級の大物に巡り合えることも珍しくはない。鯛釣人の誰もが自己記録更新サイズ獲得を目指す、年に一度の一大イベントの到来である。
乗っ込み真鯛は食材としても最高の代物である。特に三キログラム程度の手ごろな大きさの雌鯛が美味である。三枚に卸し、釣った翌々日までひたすら我慢して食してはならない。低温でじっくりと熟成するのを待つ。三日目が訪れた。当然、釣人はその日朝からそわそわと落ち着きをなくす。仕事もろくすっぽ手につく状態ではない。
その晩、待ちに待った至極の瞬間が訪れる。皮付きのままの柵をさっと湯引きし氷水にくぐらせる。薄めに柳刃を入れ、鯛の霜降り造りをこしらえるのである。
ここまで我慢したのだから缶入の粉山葵(わさび)だけは御免蒙(ごめんこうむり)る。できれば少々奮発して伊豆天城産の生の山葵一本を用意しておきたい。鮫皮の山葵卸しでいとおしむように、少量で良いから丁寧に擦り卸す。
酒は冷えた日本酒、それも端麗な喉ごしの甘くもない辛くもない純米酒に限る。無論大吟醸酒でもよいが、あくまで今夜の主役は鯛である。大吟醸酒の果実味が鯛のほどよい甘みを妨げることがあってはならない。
卸したての山葵を少量つけた霜降り造りを一口ほおばる。山葵の辛さによって際立ったとろけるような鯛の甘みをゆっくりと舌全体で味わう。間髪を入れず一口の冷酒で喉の奥まで一気にさっと流しこむ。あとはひたすらこれを繰り返すだけである。古今東西の食通を唸らせて余りある究極の酒肴誕生の瞬間である。
頭は兜煮に、カマは煮付けに、アラは潮汁にして食す。白子や真子は七輪の遠火でじっくりとあぶり、紅葉おろしと土佐酢で食す。大鯛のうろこは油でさっと揚げ粗塩を振って煎餅に、骨は大ぶりの椀に入れ熱燗を注ぎ骨酒にする。一つとして粗末に扱える部分はない。こうして、最後までおいしく釣人に食された不運な鯛は見事成仏する。
それにしても東京湾の入口、ここ松輪瀬付近に集まるこの時期の遊漁船の数は半端ではない。そういえば去年の今ごろも同じことを考え、ぼんやりと竿先を見つめていた記憶が蘇る。
休日ともなると、湾口の松輪、間口、毘沙門、三崎、金田はもとより、湾央の久里浜、久比里、鴨居、走水、大津、さらには湾奥の八景、小柴、本牧、川崎などの各遊漁基地から、大挙して釣船が湾口部に集まる。その数、時に二百隻を優に超える。
一隻あたり二十人の釣人が乗っていたとする。