したがって、流出量のみをとらえ、日本が今まで受けた油汚染被害が世界的には小さいものであったとは言い難い。
それではジュリアナ、水島、ナホトカの各事故はカタストロフィであったのであろうか。カタストロフィは各エリアごとにその種類や規模が異なるものである。例えば、巨大原油タンカーが航行し得ない海域で、当該タンカー同士の衝突事故を想定し、これがカタストロフィとすることはナンセンスである。それ相応のカタストロフィが必ず存在するはずである。
ジュリアナ、水島、ナホトカの場合、事実、これらの事故は各沿岸域に甚大な被害をもたらした。だが決してカタストロフィであったとは言えないのではないか。「通常起こり得ない」最大級の事故は、これらの事故とは別途必ず存在するはずだ。そして、今この瞬間にも実際に起こるかもしれないのである。
このようなことをあれこれ考えながら、私の調べごとは夕刻まで続いていた。ふと、報告書のある部分に私の視線が注がれた。過去の重大流出油事故事例を紹介した数行であった。
「えっ!」
私は椅子(いす)から飛び上がらんばかりに驚いた。そこにはこう書かれていたのである。〈関東大震災の際、横須賀軍港内の重油タンクは地震後数分ののち火災発生、約十万トンの重油が爆発とともに海上に流出した。当日の風向は南西の疾風であったので、大部分の重油は水面に重層をなしたまま北流し、千葉県下津田沼、幕張地方を中心とし、その付近一帯に広がって影響を及ぼした。金沢湾に重油の流出を見たのは、風向が北に変わった九日以降のことであったという〉
「過去、十万トンの重油が一度に東京湾に流出したことがあったなど初耳だ。当時の藁(わら)や莚(むしろ)を使っての防除手段でどのように対応したのだろうか。
いや待てよ……。それどころではない。関東大震災が起きたのである。陸上は阿鼻叫喚(あびきゅうかん)地獄であったのだ。
油防除どころではないはずだ。では水産資源への影響は……、そしてその後回復までにどのぐらいの期間を要したのか……」
誰もが考える疑問が、次から次へと浮び上がり頭の中をぐるぐると渦巻く。私は今の今まで、日本で起きた海洋汚染事故は、船舶が原因のものとしてはジュリアナ号が、そして陸からの流入では水島が、それぞれ流出量という点では過去最悪の事例であったと理解していた。
いや私だけではない、日本の油防除関係者の誰もが一様にそう思っているはずである。もしこの一文が真実であるとするならば、油防除関連の教科書の一頁は確実に書き直さなければならない事態となる。
少々大袈裟(おおげさ)なようだが、この分野における歴史的な大発見となるのである。そして何よりも、今から七十六年前のあの日、東京湾では海洋汚染カタストロフィが起こっていたことになるのではないか!
春の乗っ込み真鯛
五月半ばのある土曜日は、昨日までの曇り空とは打って変わり、幸いにも早朝から心地よい晴天に恵まれていた。絶好の釣り日和であった。
都会の検噪(けんそう)をひとり離れ、初夏の息吹を体いっぱいに感じとる。ダークブルーの海原に吸い込まれるように一筋の釣糸を垂れる。獲物からのシグナルを刻一刻、ひたすら待ち続ける不思議な期待感、見事大物を仕留めた時の心はずむ少年のような満足感、これこそ乗っ込みの真鯛釣りに訪れた太公望達だけが体験できる究極のストレス解消法である。