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女の視点 安全操業を考えて

 

船主家族 井上淑恵(いのうえとしえ)

 

今年二十年を迎えた「夫婦船」あのころ、女が船に乗ることが批判された時代。どのような理由があるにしろ船乗りは女性にとって立ち入ることのできない職業だった。昔からの言い伝えで船の神様は女性であり、同性を乗員させると「嫉妬(しっと)」をすると言われてきた。同時に、二十年間乗務している私も、ただ女性であるという理由だけで正式な乗組員(組合員)に認めてもらえない。

私たちの船は、五トン未満の沿岸漁業船。昔は「チャカ船」と呼ばれていたらしいが、現在では船体、エンジン等の設備に三千五百万円程度が投資される立派な船である。

主に捕る魚種はシラス、小女子、沖アミ、カエリイワシ等であり、「かけまわし操業」と呼ばれる漁法で行っている。その魚種によって使用する網も馬鹿(ばか)にならず、一種に百五十万円程度の投資が必要になる。

年々減少する魚。それに比例して水揚げが減っていく。そして何の解決法も考えず無理して借金を重ね、遠くの漁場まで行ける馬力の速いエンジン。また、深い海に対応できるためのローラー等々に金額をかける。

悪循環の繰り返し、結果は借金返済のため荒海に出漁し、海難事故が突発する。確かに漁師という職業は理屈だけでは成り立たず、昔からいわれている「勘」や「経験」がモノをいうのかもしれないが、現実はとても厳しい時代になってきている。

先の見えない生活、自然からの気まぐれな恵みにただほんろうされている。小さな社会しか適応できなくなってしまった漁民の考え、そして狭い社会でしか生きて行けなくなってしまった私たち。まわりの知識や意見に目をつぶり耳をふさぐ、昔からの生き方が今でも根強く残っている。

昭和六十年九月十四日、土曜日、悪夢のような出来事。一人で操業の経験がない夫が、どうしても海に出られない私を置いて出漁した。長男七歳、次男五歳、朝七時のわが家はまるで戦場のよう。子供たちのざわめきの中、組合からの電話が入る。内容は「夫の事故」の知らせ。

シラス網を引き揚げるローラーに左手が巻き込まれ、身体が動かなくなってしまった。どうにか外れた夫は、他船に運ばれ港に向かっているという。詳しい状況が分からない。一目散に港に向かい息ができないほど駆けていった。遠くで救急車のサイレンが聞こえる。やはり夢ではない、という現実。

通常、引き網漁法でシラスを捕る場合、一人が舵を担当し、もう一人は舵もちの合図によって網を海に落として行く。百メートルの網が左右で一対。左、右に取り分けた網の真ん中に魚の溜まる袋を取り付け、落とした左側の網は船の左舷のポックイに掛け、右側は右舷に掛けて同時に船の速度によって引っ張るのである。そのために、どの船にもボールローラーと呼ばれる引き網機が左右一対づつ設置されている。

一人で操業する場合、左右一対のローラーを同時に操作しなければならない。一人で二人分の労力が強いられる。ほんの一瞬の気の緩みから大きな事故が生じてしまった。

夫は救急病院に運ばれ診断が下された。「左上腕神経引き抜き損傷」聞き慣れない傷名。すなわち、左腕がローラーに挟まれ、数十分の間、左腕付け根部分が回転しているローラーに圧迫され、脊髄から左腕につながっている神経が、プツンと切れてしまった状態という説明が医師から聞かされた。同時に再起は不可能とのこと、転職を勧められた。

四代続いた漁師の長男として生まれ、自分の意志とは関係なく十七歳で家業を継がされた夫。乗船して二年後、夫の父はあっけなくこの世を去ってしまった。

叩かれ、怒鳴られ、その上船酔いで血まで吐き、苦しみと悔しさの中で、やっと一人前の漁師に近づき、ほそぼそと祖父と共に守り抜いた家業。その祖父にも死なれ、女の私が船乗りになった。いろいろな批判を受け、それでも笑い飛ばし、一生懸命二人で働いてきた。その夫が漁師を辞めざるを得ない状況に追い詰められた。

私たちはどうしても診断結果が信じられず、一抹の光を求めて他の病院へ強行転院をした。

 

 

 

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