処罰の異常なまでの厳しさは、東海道という大動脈の定渡船であること、川留め無視、欠員運航、乗客七人の死亡を重ね合わせるとうなずけないこともない。監視の行き届くヨコ流しに反し、タテ流しの遭難に対するとがめの記録は調査不十分のためか見当たらない。
また遭難の記録が少ないのは、口留番所が延長十八里の川筋をくまなく監視することが物理的に不可能であり、目視以外の注進のないものについては、記録という事務に連がらなかったのだろうか。それに加えて、タテ流しの免許者が親方船頭として乗船しているので、舟もろともに親方が遭難死すれば注進義務者がいなくなる。そんな理由が考えられるが、富士川の川筋の供養塔や安全祈願碑、そして川施餓鬼供養の伝承が、歴史の不確かな部分を補っている。
富士川舟運隆盛の時代、集落形成の立地条件から、舟運の経済効果の恩恵を浴したとは考えにくい集落でも、貧しく厳しい現実に向かい合いながら、日常的な生活や習俗の世界に水難死した人々を供養する豊かで優しい思いやりを取り入れている。その心を学ばなければならないとしみじみ思う。
〔訂正〕
「海と安全」7月号8ページの図の海域別隻数と%の数字に誤りがありましたので下図のとおり訂正します。