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外洋ヨットレースを嵐が直撃

−バス海峡で海難続発−

株式会社舵社 顧問中川久(なかがわひさし)

 

シドニー〜ホバート

外洋ヨットレース

 

このヨットレースは、シドニーをスタート、タスマニア島ホバートをゴールとする全航程六三〇マイルで、一九四五年が初回、以後毎年開催され今回は五四回目に当たる。日本も過去一〇艇が出場したが、今回は参加しなかった。

オーストラリアと日本は緯度に南北の違いがあるが、シドニーは日本の鳥羽(三三・八度N)、ホバートは根室(四三・一度N)と緯度が大体同じである。

バス海峡を含むこのレースは天候が荒れることで有名。北からの強い流れと、地元で"サウサリー・バースト"と呼ばれる南寄りの強風がぶつかり巨大な波を作る。

過去にも一九七七年参加艇一二九艇中五八艇が、一九八四年にも参加艇一五二艇中一〇五艇が荒天のためリタイヤしたことがある。

 

レースを嵐が直撃

 

一九九八年十二月二十六日午後一時、晴天のシドニー湾を一一五隻のヨットがスタート。そのとき半数の参加艇が風速八〇ノット、波高一二メートルの嵐に遭うとは誰しも思わなかったことだろう。スタート前にレースオーガナイザーと参加艇は「九九三・三ヘクトパスカルの低気圧が翌日バス海峡の東に来る」という気象庁の予報を受けていた。さらにスタート後、レース本部は「その日の終わりまでには四五〜五五ノットの風と四〜六メートルの波高に達するだろう」という警報を無線中継船から各艇に伝えた。

レース二回目の二十七日、参加艇がバス海峡に差しかかったころ、短時間で急速に発達した爆弾低気圧が参加艇を直撃し、レースのコース上を西から南東へ向かってゆっくりと横断した。多くの艇は、バス海峡の入口にあるガボ島をかわした直後か、ガボ島へ近づいているときだった。何隻かの小型艇は最悪の場所から逃れることができた。

嵐の警報は実際より上回り、バス海峡のウイルソンズ岬では平均風速七九ノット、最大風速九二ノットを記録した。

爆弾低気圧は西〜南西八〇ノットの風を呼び、南東の流れとぶつかり一二メートルに達する高波となった。

波頭は砕けて真っ白、嵐は二十七日午後から真夜中にかけ断続的に豪雨を伴う破壊的な勢力で参加艇をうちのめした。

このため、コーストガードは正午ごろから数時間の間に、延べ八〇の遭難信号を受けたという。

この結果、

死者・行方不明者 六人

転覆・デスマスト 六隻

ヘリコプター救出 四二人

漁船救助 六人

海軍フリゲート艦救助 二人

損傷艇・怪我人 無数

捜索海域 四千平方マイル

 

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優勝したU.S Maxi“Sayonara”セーリングは全航程が正にサバイバルだったという

(ロイター=共同)

 

 

 

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