昼食をとってから帰路についた。何だか波が出てきたみたいで、ときたまバタンバタンとする。北西の風が強くなり、操船は素人からディラーのベテランさんにかわり、スロットルも絞ったり開いたり。何とか羽田沖を過ぎたが、さらにバタンバタンが激しくなってきた。
北西の風に上げ潮でいわゆる三角波である。ローリング・ピッチングの荒馬に耐えるためにしっかりと物につかまらねばならないので手指は痺れる、足指は急降下で側壁に当てて血豆と散々な思いをした。恐怖感はなかったが、正直にいえばこんな悪い乗物はないと思った。その昔々の、洗濯板の道をクッションのないバスに乗っているよりもひどかった。
無論、商談は不成立。船なんかほしいなんて二人とも思わなくなった。ところが、一年も経たないうちに友人の船で大島までのクルージングの機会があった。天にも昇る気持ちで出航が待ち遠しかった。大島へは東海汽船で十数回行っているがパワーボードでは無論初体験である。梅雨は明けたが、どんよりした曇天の朝に東京を発った。
野外活動の行事を企画して、ハイキングでもキャンプでも実施日に天気がよければすでに六〇%は成功である。海は少し違う、仮に晴天でも波と風が大きな要素となる。当日は今にも雨が降ってきそうな空模様だが波も風もなく"べた凪"観音崎を無事通過。州崎が左舷に霞んで見えるころからうねりが出てきた。その上、雨も強くなってきて船はゆらゆら。満員のキャビンは混み合って酸素不足気味、ゆらゆらにばたんばたんも出てきて気分が悪くなってきた。
さらに激しくなってきて、はきけを我慢しながらふらつく足取りで雨具を着けてスターンデッキに出ていった。デッキシューズを通して足はびしょびしょ、顔や手からも雨水が伝わってくる、これは惨めだ。サンデードライバーには船酔いも苦しいものだ。
自分で船を持ってから、苦しみは倍加した。一言でいえば「乗る機会が増えた」のが一番の要因だ。うれしいような苦しいような。
では「どうして船を持っているの?」と聞かれると困ってしまう。「腐れ縁の古女房と別れられない」のと同じようなもので、煩わしいことが多いと別れたいと思うこともあるし、現実的には別れられない"しがらみ"も半分はあるだろう。どちらを選んでも厳しいものだ。
プレジャーボートの使用頻度は、春から秋にかけてのよい季節が一番で、特に長距離クルージングができるのは五月の連休と八月のお盆休みくらい。本業を持っていて余暇を楽しむわれわれでは近場の釣り好きな方でも年間を通じて毎週出掛ける人は皆無であろう。一般的には年間一二回くらいのものではないだろうか。
毎日のように運航さている商業船と違い、プレジャーボートは使用頻度が少ないので、かえって機械の調子がおかしくなる。エンスト・バッテリーアガリを始めとして、走り出すと車に例えれば時速二〇〇キロメートルにも値する、エンジン回転数が八〇〜八五%で飛ばすものだから無理がゆく。そして燃料系統の目詰まり。電気系統も絶えず湿度の高いところだけに絶縁不良に配線の劣化が激しい。このような訳でメカニックでは五〇〜六〇年代の昔々のボロ車を走らせているのと同じようだ。
たまにの乗船なので習熟度も低い、エンジンの音を聞いて故障の予知や燃料計を一目見て、燃料残はどれくらいあるか、風・波・潮と積載人員を勘案して何回転なら何時間走れるかが計算できにくい船長さんが多いのではないだろうか。
楽しいはずのクルージングではあるが、あれこれあると実は愚かな私の苦しみ多く、留めてしまう「苦留人愚」になりがちなのだ。