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見学のできる灯台 (10)

入道埼灯台

(社)燈光会

 

灯台の歴史

この灯台が建設された当時、日本海側の青森、秋田、山形の三県には、酒田と船川の木造灯台二基のみでした。

明治二十四年から大正十四年の三十五年間に沿岸大型灯台の建設に主目標がおかれ、主航路の灯台から逐次整備が進められました。

この時代は、日清戦争に続く台湾航路灯台の整備ならびに日露戦争関係の航路標識整備など特異なケースのものも含め、沿岸灯台の設置が大いに進捗しました。

 

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初代の鉄造りの入道埼灯台

 

男鹿半島の北西端の草原台地に大型灯台が実現したことは、世人を驚かせるに十分な出来事でした。

明治三十一年十一月八日、初点灯したこの灯台は、白色六角形鉄造、灯火の中心まで二四・五四メートル、石油四重芯灯で二万燭光、光達距離二〇カイリ(約三七キロメートル)、レンズはフランスのソーターハーレー社製の一等特殊閃光でした。

昭和十三年三月に商用電源を導入し、一、五〇〇ワット電球を使い光力は二六カンデラに増大しました。

この鉄造りの灯台が老朽化したため昭和二十六年六月、現在の灯台(二八メートル)に改築されました(灯台は、黒白横線塗り。これは雪の多い地方や孤島に建設する灯台は、視認困難なため塗り分けられるもので、赤白、黄黒等に塗り分けられている灯台もあります)。

現在では、灯台の機器改良がなされ、光度一五〇万カンデラとなり、日本の灯台の光度順位では他の灯台とともに第三位となり、日本海を航海する船舶の安全に寄与しています。

昭和五十六年十一月、北北西方の水島向け照射灯を設置したほか、船舶気象通報業務、同テレホンサービス、レーマークビーコンの業務を併設しております。

昭和四十七年五月、事務所の集約管理が施行され、灯台等を管理する事務所は男鹿市内に移転し、そこから定期的に見回り管理が実施されています。

 

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現在の入道埼灯台

 

灯台資料展示室

当会では、日本財団および男鹿市のご協力で「灯台資料展示室」(オープンは毎年四月〜十一月末)を設置し、航路標識の広報に努めています。

 

主な展示品

1]灯台で使用された大型レンズ

2]パソコンによる灯台のQ&A

3]付近住民の灯台への思い出

4]大昔〜戦前〜現代の灯台変遷

5]明治、大正時代に使用された灯台の道具等

6]航路標識のいろいろ

7]日本海の地形等

8]灯台を守った人々等のパネル

 

灯台へのアクセス

航空便=羽田〜秋田(約一時間)

電車=東京駅〜秋田駅(JRこまちで約三時間四十分)

JR秋田駅〜男鹿駅(約一時間)

車=JR男鹿駅〜入道埼灯台(約一時間十分)

車=JR男鹿駅〜寒風山〜入道埼灯台〜JR男鹿駅(男鹿半島周遊約三時間)

 

 

 

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