アミューズメント化
では、イルカ、鯨類を飼育する海獣類を主体とした施設はと申しますと、一九三八年にアメリカのフロリダ州セントオーグスチンにマリンスタジオができたのが最初でした。
当初写真撮影用にできておりましたが、その後エンターテイメントを強く打ち出した海獣類のダイナミックなショーを行うようになりました。水鳥やカメ類など豊富に巨大なガーデンに公開し、マリンランド型、シーワールド型として今日に及びます。
民間企業での観光型の大規模娯楽施設へと発展してきており、魚類をはじめ巨大なシャチやアシカ、セイウチ、ペンギン等、海獣類、鳥類まで単にガラス越しで見せるのではなく、ダイバーによる餌付け、オープン水槽にイルカを泳がせ、ショーアップさせて人々との交流を深める等、テーマパーク的なアミューズメント性が強調されてまいりました。今までの学究的な流れを大きく変えて、そのアミューズメント性で大量動員を計り、海辺の自然と動物、そして遊園地的な要素が特色となりました。
日本の水族館の歴史
さて、日本の場合も同じような方向で影響されてきておりますが、水族館は明治の文明開化の移入文化として到来しました。明治十五年上野動物園の一角に「観魚室」(うおのぞき)ができたのが初めであり、魚類や無脊椎動物のイソギンチャク等を並べたもので、パリのジャルダンデプランツを模倣したといわれます。
そして国内で博覧会があるたびに、小規模の展示がなされました。
公的に水族館と名のついたのは明治三十年、第二回水産博覧会で神戸の和田岬に本格的なものができました。日本の場合、海外より約三十年遅れて発達し、戦前は三〇ほどありましたが、太平洋戦争によってすべて廃館、閉館となりました。戦後の歴史は、近代的水族館の第一号ということで実は江ノ島水族館からはじまりますが、このことを可能にしたのは電力事情がまず安定したということで、今日も魚達の生命は電力で保たれております。
湘南海岸は海洋生物の宝庫
江ノ島のある湘南海岸は、相模湾の湾奥にあり三浦三崎から真鶴まで続く四三・五キロメートルの長い海岸線の一帯の総称であり、温暖な気候と霊峰富士が目前にのぞむ素晴らしい景観に恵まれております。古くは保養別荘地として注目され、海岸線が広い砂浜であることから、海水浴場として人々に親しまれてきました。
さらに特筆すべきことは、海洋生物学発祥の地として名高いことです。大森貝塚を発見したエドワード・シルべスタ・モースが明治十年江ノ島を訪れ、彼の求めていたシャミセンガイをはじめ動物相の豊富なことに驚き、世界で六番目、日本で初の臨海実験場を作りました。ダーウィンの「進化論」に啓発されて、進化の過程に特徴を持つこの生物の調査にはるばる渡来してまいりました。
その後東京大学で動物学を開講し、講義の中心は「進化論」であり、日本の動物学の先駆者としての役割を果たしました。モースによる一連の啓蒙活動は日本の自然科学の黎明期に大きな功績を残したことは明らかです。その時の一学生であった高名な動物学者である石川千代松(東京大学名誉教授)の愛弟子が当館の初代館長雨宮育作(東京大学名誉教授)であり、石川教授より昭和の初期に水族館の重要性と建設を強く依頼されていたと伺っております。