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見学のできる灯台 (9)

都井岬灯台

(社)燈光会

 

灯台の付近と歴史

 

この灯台は、日南海岸の最南端から太平洋に突き出た岬に位置し、東南アジア方面から来航する大型タンカー等の船舶にとって日本内地で最初に視認する灯台で、九州東岸航路や志布志湾出入港の重要な標識です。

日南海岸の観光のメッカにもなっています日向灘と志布志湾を分け、岬は海に向かって切り立っており、灯台の高さは海抜二四〇メートルもあります。

 

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上空から見た都井岬灯台

 

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野性馬が遊ぶ灯台構内

 

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灯台全景

 

この断崖はソテツの原生林となっており、岬の草原には岬馬が自然のまま放牧され、国の天然記念物に定められています。

昭和四年五月、灯台局直営で工事を開始し、同年十二月二十二日初点灯しました。

灯台建設の動機は、海運界の強い要望によるものですが、当時、日本艦隊は志布志湾に集結し、日向灘で演習していたため、海軍からも要請が強かったともいわれています。

建設当時の灯台のレンズは、国産の一等レンズ(レンズの高さ二・五九メートル)が使用され、灯ろう(レンズ室を覆う部分)は関東大震災により大破した横浜の試験灯台の特一等灯ろうが転用されました。

光源は石油蒸発白熱灯器(一、三〇〇燭光)でしたが、昭和十九年七月電化され、二、〇〇〇ワットの電球を使い三〇〇万燭光に光度を増大し、当時は、東洋一の灯台とうたわれました。

ところが、昭和二十年七月アメリカ軍の艦載機の攻撃により灯室が大破炎上したので、同年九月から仮灯を灯し、昭和二十五年一月になって第三等大型レンズに変更され復旧しました。

昭和二十五年九月に当地方に来襲したキジア台風によって戦災復旧したばかりの灯台も大破し、昭和二十六年五月再復旧しました。

この二度にわたる大災害の復旧工事をはじめとして、技術の発達に伴う機器の改良が行われていますので、建設当時のものとしてはコンクリート造りの灯塔だけとなっていますが、屋根を陸屋根として周囲に欄干を設け、灯塔から出入りする屋上庭園となっているのは昔のままで、当時からのざん新な設計で珍しいとされています。

 

灯台余話

 

その一 寛永年間(一六二四〜一六四三)に高鍋藩が遠見番所を設置し、船舶の往来を監視していました。また、明治になってからは海軍の望楼がありました。

その二 まわりには大正十二年に国の特別記念物に指定されたソテツ自生地があります。

灯台構内のソテツは灯台建設時に植樹されたものですが今では灯台のシンボルとなっています。

 

灯台へのアクセス

 

○バスJR宮崎駅〜青島〜都井岬(約二時間三十分)

○バスJR串間駅〜都井岬(約四十分)

 

 

 

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