レポート2] 重要性を改めて感じて。
協力雇用主
松田良一
私は、今日まで保護観察対象者を数名、社員として採用してきました。その一例を紹介します。明子(仮名)は、中学2年のころからシンナーを吸うようになり、何度か家庭裁判所に係属し、17歳の秋に保護観察処分になりました。家庭は、両親と兄の4人家族の、ごく普通の家族でした。保護観察開始当初は、パチンコ店のボーイフレンドと一緒に住み込んで働いていたのですが、半年後、新しい店に配置換えとなり、上司、同僚に馴染めず辞めてしまいました。その後、家に帰り、求職活動をしたのですが、適職が得られず、担当の保護司さんから私のところで雇用してくれないかと頼まれたのです。
私の会杜では、家庭用・ボイラー用・空調関係の温度計を製作しています。流れ作業の中で、単調な仕事をすることもありますので、辛抱強さが求められます。採用面接に来た明子はすらりとした長身の女の子で、黄色い髪に真っ赤なマニキュアといった格好でした。しかし、受け答えに素直さが感じられましたので、雇用してみる気になったのです。採用面接の1週間後から勤務を開始しました。明子の仕事は、温度計のバネを作ることでした。当初は、緊張していましたが、だんだんと仕事や同僚等にも慣れてきました。しかし、1か月ほどしたころから、寝坊をしての遅刻や無断欠勤が目につくようになりました。理由を尋ねるとボーイフレンドと夜、遅くまで遊んでいたとのこと。保護司さんと相談を続け、本人や両親と話し合い、解決策を模索しながら、何とかしたい、何とかしてやりたい」との思いに明け暮れました。
それまでにも雇用した少年のうちには、得た収入の確固たる使用目的がない人も少なくありませんでした。そのため、少しでも長続きできるよう、働く目標を持たせることにしました。例えば、車の免許がない者には取得意欲を促し取得費用を得るために働くとか、また、次には、車の購入費用のために働くという目標を持たせました。明子の場合も同様に車の免許取得を働く目標にしたところ、丁度、本人も考えていたとのことで、思いは一致し、就労してから2か月程経ったころから夜間の自動車学校へ通いだし、その4か月後に免許を取得することができました。しかし、残念ながら明子は私の所を辞めてしまったのです。その理由は、車を250万円ほどで買い、ローン返済のためにもっと給料の良いところで働きたいというものでした。もう少し辛抱すれば給料も上がっていくのにと担当の保護司さんと説得しても辞める意志は固く、残念でした。これまでも雇用した少年たちの大半は長続きしませんでした。辛抱することが培われていないのでしょう。
しかし、時が流れ、風の便りで、明子は、結婚して子供がいるそうだ」「大介君(仮名)は、ある会社で頑張っている」「健司君(仮名)は、独立して経営者になっているそうだ」等聞こえてくるたびに、そのころの苦労が懐かしく思い出される今日このごろです。再犯という暗い話を耳にしたことがないのが幸いです。仕事の安定が更生に結びつくことを耳にするたびに協力雇用主という受け皿の重要性を改めて感じ、1人でも多くの事業主の方に参加して欲しいと思っています。