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僻地医療報告書“日本最南端の診療所での研修”

 

京都府・京都府立医大5年生

大迫智

 

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私は1999年12月19日より25日(実際の研修は20日から24日)まで、沖縄県の南の端にある八重山諸島の波照間島(人口約560人)で研修させて頂いた。波照間島は有人の島では日本最南端であるので、うれしいことに、私が研修した県立八重山病院付属波照間診療所が日本最南端の診療所ということになる。受け入れてくださった先生は、新城雅行先生(自治医大18期生、卒後4年目)で、もちろん、診療所でただ1人の医師である。他にこの診療所には、看護婦さんの村上さんと事務員の貝盛さんが働いておられ、計3人のスタッフからなる小さな診療所である。

まず、ここで沖縄の僻地医療の歴史と現状について述べたいと思う。終戦後、沖縄はアメリカの占領下に入り、アメリカの指導下で僻地医療が進められた。そのとき、離島や離村で医師が不足したため、旧日本軍の衛生兵など医師以外の医療関係者を「医介補」として各地に送り込んだ。医介補とは地区限定で医療を行うことができる人で、その地区を離れると何も出来ないために、その僻地に縛られることとなる。今でも黒島と竹富島では現役でおられる。

 

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次に、「国費制度」というものができ、政府が医学部の授業料の面倒をみる代わりに、医師になったあと僻地医療を義務付けられる(この制度は財政難で既に廃止されている)。そして、沖縄返還の年に「自治医大」が出来て、卒業生は数年間の僻地で医療をする義務がある。この3つの制度により、一応今ではほぼ全ての離島・離村で医療が行われていることとなった。

しかし、問題は「離島医療支援システム」が整っていないことである。つまり、代りの医師をよぶのが難しく、島から離れることが出来ない。正月や学会や勉強会でも島を離れられない(盆の休みは代りの医師が来てくれるらしいが)。買い物に石垣に行こうとしても第1便(9時半)で出て、第3便(3時)で帰って来なければならない。このことで、離島医療をする医師は最新の情報や技術から隔離されて負担が大きい。離島医療支援システムのひとつとして「ドクタープール」をつくり、代りの医師をすぐ派遣できるようにするという構想もある。また、人材不足を補うために沖縄県立中部病院に「Primary Care Course」というのもつくられた。(以上は新城先生の話より)

次に、実際の医療について述べたい。1日の患者数は15人ぐらいで、大部分が高齢者である。そして、定期的に薬をもらいに来る人が多い。降圧薬、腰痛に対する湿布、抗不安薬、高脂血症治療薬などが多かった。抗不安薬はこの島では「安定剤」と言われていて、高齢者の間で乱用( ? )されていた。

 

 

 

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