診療所に一応血液検査キットはあるが、調子が悪いらしく(買い替えも予算の関係で困難との事であった)、血液検査などは当日の朝9:00までに診療所に来てもらい、検体をフェリーで那覇に送ってそちらで検査してもらうとのことであった。
他に設備としてはレントゲン1台、上部消化管内視鏡1台の体制で、必要最小限という感が深かった。
感想
1:現在の専門医(specialist)重視の医学教育、医療体制を前提とする限り僻地に赴任される医師の専門によって診療所の性格が若干変わってくるのは避けられない。一人の医師が分娩、消化器内視鏡、尿路内視鏡、高血圧や糖尿病のcontrol、眼科、耳鼻科、整形外科など全てに充分な経験をつんで僻地に赴任することは、現状の専門医重視の制度では不可能に近いのではないだろうか。そう考えると僻地勤務を希望する医師に対しては、従来大学の医局で行われているストレート形式の卒後研修ではなく、少なくとも5年、可能であれば10年程度の長期間のスーパーローテートによる研修が行われるべきではないかと思う。現状は卒後2年程度で僻地に数年間送りこまれるケースが多いようであるが、この様なやり方では、むしろ僻地に嫌悪感を持つ医師を増やし、また患者さんの「高質な医療を受けるチャンス」まで奪ってしまうような気がする。
2:僻地の住民には「本当にこの診療所に任せて大丈夫だろうか」という意識と「なぜこの程度のものでわざわざ中核病院まで行かねばならないのか」という相反した意識があることをこの研修で初めて知った。このことは僻地に赴任した医師も肌で感じるらしく「中核病院に送るべきかどうか」が、僻地の医師にとって常に決断を迫られる課題であるようである。わずか1週間、1箇所の研修で断定的な事はいえないが、僻地の医師には広い意味での「自分の限界を認める」能力が必要ではないかと感じた。
3:この研修に行く前、ある病院の先生と話をする機会があり、そのとき僻地医療の話題が出てきたのだが、その時にこんなことをその先生は言っておられた。「今まで戦車に乗って闘っていたものが急にピストルだけで闘わねばならなくなったら怖くてしり込みしてしまうものだ」失礼を承知でこの言葉を診療所の饒波先生にぶつけてみたら、この様な返事が返ってきた。「自分もピストルだけでどこまで闘えるのか自分に挑戦している所だ」この言葉を聞いて、私は僻地に赴任する医師に大切なのは「自分に挑戦する」スピリッツではないかと感じた。この言葉を聞いただけでも「ここに来てよかった」と思った。
最後になりましたが、この様な機会を提供してくださった自治体病院協議会に心から感謝致します。もし、再度の機会を提供して頂けるのであれば、別の離島に行ってみて、その島の現状も見てそこの先生にも話を聞き、もっと僻地、離島医療を見てみたいと思います。