一方、「明治三陸津波」で最高波高を記録した岩手県三陸町綾里は、「昭和三陸津波」後、市街地に隣接した丘陵を高台住宅地として造成し集団移転した。
また、「チリ地震津波」で被害を受けた岩手県大船渡市では、湾口に長さ720m、海底からの高さ40mの津波防潮堤を建設するとともに、臨海工業都市建設構想での防災性を高めるため、86.7haの土地区画整理事業を実施した。台地上への国道のルート変更、宅地の丘陵地への移転、宅地の嵩上げ等を行なうとともに、建築基準法34条による災害危険区域も指定した。
[北海道奥尻島での津波災害復興] 1993年7月、北海道奥尻町等が大規模な津波に襲われ、死者・行方不明は200名を超えた。
海岸部に集落が形成されていた奥尻町では、最南端の青苗地区や西海岸の藻内地区、北部の野名前地区等が壊滅的な被害を受け、藻内地区の集落は放棄された。
奥尻町青苗地区は、「昭和58年(1983年)日本海中部地震」でも被害を受け、高台部に住宅地が造成され避難路も整備されていたが、低地部の約400棟のうち数10棟を残して、津波と火災によって流失・全壊・全焼した。
復興計画は、北海道庁の主導で策定され、低地部からの全戸移転と一部移転の二案が住民に提示された(表1)。青苗岬地区については、早い時期から、防災集団移転促進事業によって高台に造成された住宅団地への移転が合意された。一方、漁業関係者が多い被災者は低地部での再建を強く支持し、青苗岬地区以外については土地の嵩上げを併用した漁業集落環境整備事業によって整備した。
住宅再建にあたっては、災害公営住宅建設の他、100億円を超える義援金によって、700万円/戸の住宅新築助成等の各種の助成・補助がなされ、災害4年後には、ほぼ全世帯の住宅が新築された。
4. 阪神・淡路大震災からの復興まちづくり
1995年1月17日早朝に発生した「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」による阪神・淡路大震災では、ライフライン、鉄道、幹線道路、港湾施設等の公共的な物的施設は数日から2年程度で一応の復旧を見たが、6,500人に迫る犠牲者と25万棟を超える住家の全半壊焼という、関東大震災以来の住民への直接的被害の復旧・復興は、発災から3年半を経過した時点でも、その途上にある。