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豊島区東池袋地区や世田谷区太子堂地区に代表される“木賃ベルト地帯”は、極端に細分化された狭小宅地に老朽化した木造賃貸住宅が密集し、平常時でも消防車両等の通行に大きな支障がある幅員4m未満の道路のみで街路ネットワークが形成されていた。“木賃ベルト地帯”では、スクラップ・アンド・ビルト型の再開発事業は馴染むべくも無く、時間をかけてできるところから修復していかざるを得なかった。

このような地区が既成市街地内に点在もしくは連担していることが再認識され、建設省は、昭和57年9月、「木造賃貸住宅地区総合整備事業(木賃事業)」を発足させ、首都圏での第1号として太子堂地区が指定された。制度上の事業主体は世田谷区であったが、木造賃貸住宅等の建替え・共同化を自ら行なうとする建物所有者を主役とせざるを得なかった。そのため、計画や事業に対する地区住民の合意を形成することを目的として世田谷区は、まちづくり専門家派遣を伴った“まちづくり協議会”方式を採った。お手本となったのが、すでに昭和56年に「神戸市地区計画及びまちづくり協定等に関する条例(まちづくり条例)」を施行していた“神戸方式”であった。

木賃事業は、その後、住市総(住宅市街地総合整備事業)や密集事業(密集住宅市街地整備促進事業)として発展的に廃止され、さらに、平成10年の密集市街地整備法(密集市街地における防災街区の整備促進に関する法律)の成立にまで発展していった。

昭和50年代以降の一連の流れは、施設的なまちづくり、換言すれば“拠点整備型まちづくり”から、住民参加を前面に押し出した“集中修復まちづくり”への転換であった。

 

3. 東京都の「防災都市づくり推進計画」へ

平成7年1月の「兵庫県南部地震」は25万棟以上を全半壊させ、285件の出火が約8,000棟の焼失建物をもたらした。現在も継続している「阪神・淡路大震災」に発展した大都市震災は、1,000人にも達する畏れのあるいわゆる「震災関連死」も発生させている。

街路や鉄道という都市基盤施設を除けば、人的被害および物的被害とも、インナーシティを含む木造住宅密集地区に集中した。

昭和40年代初めから、我が国での都市震災対策をリードしてきた東京都は、阪神・淡路大震災の被害を分析、形骸化していた「防災生活圏構想」を抜本的に見直し、平成8年から相次いで、「防災都市づくり推進計画」の基本計画および整備計画を策定・公表した。

「防災都市づくり推進計画」では、1] 災害に強い都市構造の確保、2] 地域特性に応じた防災都市づくりの推進、および、3] 個々の建築物等の耐震性・耐火性の向上の3点を基本理念とし、防災上の重要度に応じた延焼遮断帯の整備、防災生活圏の見直し、

一般市街地

 ↓

木造住宅密集地域等

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重点整備地域

という3段階の市街地ゾーニング、重点整備地域内での整備効果や事業熟度を勘案した重点地区の設定を行なっている。

 

 

 

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