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また、救急ヘリにより搬送された場合は、収容医療機関近くのヘリポートに着陸し、収容医療機関の救急車により当該医療機関へ搬送されることとなります。

 

第四 現在までの活動概要

研究開始の初期の出動は、一部地域に限定し、システムの検証を行い、八月以降に現場ヘリポートの整備と併せて県西部地区全域に出動範囲を拡大しました。

平成一一年四月一日から同年一一月までの出動件数は一三三件を記録し、その内訳は、医療機関要請の転院搬送三六件、消防機関の要請九七件であり、救急事故種別は、急病が六五件と最も多く、一般負傷一四件、交通事故一一件が主なものです。(別表参照)

消防機関の救急ヘリ要請から現場ヘリポートまでの「所要目標時間は一五分」で、ほぼ全域をカバーしています。重傷の傷病者収容に、浜松市や隣接の磐田市等の医療機関に依存している北部山間地では、通常一時間以上要した搬送時間も、救急ヘリ搬送では大幅な搬送時間の短縮に繋がり、次の救急出動に備える体制の改善にも繋がっております。

 

おわりに

本研究は、医師搭乗の救急ヘリをいち早く救急現場に派遣し、傷病者を医師の管理下におき、救急隊と協力して医療行為等を含めた応急処置を実施することにあります。救急ヘリによる搬送は、収容医療機関までの大幅な搬送時間の短縮が図られるなど地域の救急医療体制、とりわけ広域的医療体制の整備に繋がる有効なシステムであり、実験研究の結果でも救急ヘリの救急隊への現場応援も順調に推移しております。なお、本実験研究に要する救急ヘリの運航に伴う経費は民間企業等の拠出金で賄われております。

昨年一〇月から、厚生省の事業として岡山県と神奈川県で同様な「ドクターヘリ試行的事業」が開始されています。本研究会におきましても一年間の実績と問題点を洗い出した中で、来年度以降の継続に向けて検討がされています。

(曽布川収吾)

 

予防・広報

「市民が安全・快適に暮らせるまちづくり」を目指して

新湊市消防本部(富山)

 

はじめに

新湊市は、富山県のほぼ中央部に位置し、東は県都富山市、西は商都高岡市に隣接し、北は富山湾に面した東西二・二五km、南北六・七四km、面積は三二・三三km2、人口約三八、〇〇〇人の小さな港湾都市です。

 

一 新湊市の沿革

当市の誕生は昭和二六年に高岡市から分離されたことに始まり、昭和二八年に付近七か村を編入、再編し現在に至っています。この間、昭和三六年には、新産業都市の指定を受け市域の中央部に位置した放生津潟と、その背後の広大な農地を大型船が入港でき基幹的流通拠点となる港にするための建設が着手され、七年後の昭和四三年四月に、伏木富山港「富山新港」が開港されました。

以来、同背後地にはアルミ産業を中心とした企業が次々と進出しました。火力発電所の進出に伴い、昭和五一年に石油コンビナート基地を、昭和六一年には、日本海側では二番目の「特定重要港湾」の指定を受けました。また、富山新港の西側で並行して行われていた埋立て工事が平成元年に完成し、新たな漁業の拠点として、カニ、ホタルイカ、シロエビ等の富山湾の幸を全国に送り出しています。

平成四年からは海の貴婦人と呼ばれていた初代「帆船 海王丸」が係留され、同地区一体は海王丸パークとして、観光と市民憩いの場となっています。

東側埋立地には、プレジャーボートやヨットを係留する公共マリーナがあり「二〇〇〇年とやま国体」には、ヨット競技が行われます。

「ミラクル新湊」で高校野球甲子園大会に旋風を起こした新湊高校は、当消防本部の西側にあり毎日練習する声が風に乗って響いてきます。

 

 

 

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