四 ストレスとメンタルヘルス
(1) 蒸発したAさん
Aさんは四二歳の男性です。カウンセラーのところに職場の上司が連れてきました。Aさんが蒸発事件を起こしたとのことでした。四日間も行方不明になっていたのです。日頃は仕事も真面目にやるし、これまでに計画的に年次休暇は取っているが、突然に休むことはなかったそうです。上司はこんなことが起きて驚き、信じられないとのことでした。事件が起きたのは転勤辞令がおりて新しい職場に挨拶に行く日でした。Aさんの職場はかなり忙しい所だったようです。転勤することもあり、残務整理に追われて連日残業をして、家に帰るのが一二時を過ぎていたとのことです。上司がAさんに問いただしても、蒸発した理由がよくわからないので困ってしまったとのことでした。カウンセラーがAさんに話を聞いても、自分でもなんでこんなことをしでかしてしまったのかよくわからないと言います。朝、出勤しようと家を出たところまでは覚えているが、その後のことがわからない。気がついたら自分が知らない町にいるのでびっくりしてしまった。自分はとんでもないことをしでかしてしまったと恐ろしくなってしまったのです。恐ろしくなり、職場にも家にも連絡できずに、見知らぬ町をウロウロしていたといいます。四日たち、こんなことでは自分は死ぬしかないと思ったが死にきれず、職場に連絡したとのことでした。
(2) ビルから飛び降りたBさん
Bさんは二七歳の青年です。Bさんの上司が困って相談に来ました。Bさんが六階のビルから飛び降り自殺をしてしまったとのことでした。幸いにも四階に引っかかって、骨折だけで命を取り留めました。このまま仕事を命じていいものかどうか困って、上司がカウンセラーに相談に来たのです。
事件が起きた日はBさんの職場の仕事が一段落して、皆で打ち上げに行き、お酒を飲んでいた時でした。Bさんは優秀な職員で仕事もかなりできる人で、上司から与えられた仕事はきちんとこなす職員でした。仕事の締め切りが迫り、この一ヶ月位は残業の連続でした。遅い時には午前二時頃までの残業が連日に渡り続いていたそうです。事件は仕事が完成し、一段落して、皆で打ち上げをしている時に起きたのでした。Bさんに話を聞いてみると、自分では死ぬつもりはなかったと言います。皆と飲んでいて、なんとなく喧騒が厭になり、一人になりたいと、外に出たと言うのです。風に当たろうとエレベーターで屋上に出て、気持ちいいなあと思ったところまで覚えているが、後は自分でもわからないと言います。Bさんは地方から転勤して一年半になります。東京にきて仕事はとても楽しかった。やりがいのある仕事だった。でもなんとなく一人ぼっちで淋しかったと言います。Bさんには仕事にのめり込んでしまったために、かなりの疲労感があり、またどこかに孤独感があったようです。
(3) 二つの事例から学ぶ
AさんもBさんも、仕事熱心な人でした。職場の上司もそれを認めています。職場のメンタルヘルスを考えていく時にまず注目しなければならないのは、このように真面目で、仕事熱心な人たちです。職場はこのような人たちで支えられています。しかし、時にはこの真面目さや熱心さが裏目に出てしまうことがあるのです。特に残業が続き、疲労困憊の状態にある時で、仕事が一段落してホット一息ついたような時です。こんな時に事件が起きてしまうことがあります。もう一つはこのような事件や身体の不調が転勤の後に起きることがよくあります。特に昇進しての転勤によく起きます。ビジネスマンにとって昇進は誰もが願っていることです。それだけに転勤して自分の力を出しすぎてしまい、ダウンしてしまうのです。
Aさんは残業の連続で疲労困憊状態にあり、自分でも気がつかないうちに蒸発事件になってしまいました。Bさんも同じような状況で事件を起こしてしまいました。二人とも未遂に終わったために、二人から話を聞くことができました。しかし、亡くなられてしまい、事情がわからないことも多くあるかもしれません。