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三 活動概要

救急隊が観察を実施したところ、多発性外傷及び大出血・意識レベルJCS三〇〇・呼吸・脈なし、心肺停止状態であった。

救助隊は、積載物落下等の二次災害の危険性を考慮しながら、マット型空気ジャッキ(二九t)一枚を側腹部が挟まれていたタイヤの車軸に設定、油圧ジャッキ(二〇t)二基を二軸目と後部フレームに設定、車体を持ち上げ救出を試みるが、要救助者を挟み込んでいたタイヤが数?pしか上がらず、救出可能な高さが得られなかった。そこで、タイヤの取り外しや、油圧ジャッキの設定移動等を試みるがいずれも救出不可能であった。

隊長以下救助隊員が、空気ジャッキを移動し再度車両の持ち上げを検討していた時、事故の連絡を受けた要救助者の父親が現場に到着、経過と活動状況を説明する。父親は、空気ジャッキによってタイヤが辛うじて浮いていたものの、大型トレーラーの下敷きになっていた息子を見て、我々に「息子の体に二度と重さをかけないで欲しい」と訴えた。

隊長は、自己隊の装備資器材であらゆる救出活動を試みたが結局救出は困難と判断、民間のレッカー車を要請することにした。

レッカー車到着後、要救助者を挟み込んでいたタイヤホイールにワイヤーを通し、玉掛けにより車体を吊り上げるとともに油圧ジャッキ等で固定処置を施し、内・外二本のタイヤの空気圧を下げて隙間をつくり側腹部を外し、事故発生から約二時間後、ようやく救出に成功した。

 

おわりに

今回の事例は、当市の救助件数の約八〇%を占める交通事故への救助にあって、要救助者がダブルタイヤのわずかな隙間に挟まれたという極めて希な事例であった。

通常の救助活動であれば自己隊の資器材で十分対応が可能であっても、今回のような災害現場では速やかに民間企業に対し重機類を要請することが重要であった。

また、特に現場にいた要救助者の父親の心情を考慮しながら救助活動を実施しなければならないという難しさをも痛感するとともに今回のような現場に於ける活動方針の判断の未熟さから長時間にわたる救出に至ったことを反省し、今後も発生するであろういかなる災害にも市民の期待に応えるべく救助隊員として訓練を積み重ね、技術向上に努める所存であります。

最後に、尊い生命を亡くされた方のご冥福を心よりお祈りします。

(池澤和弘)

 

予防・広報

防火は地域住民とともに

新潟県柏崎地域広域事務組合・消防本部(新潟)

 

はじめに

消防本部の所在する柏崎市は、新潟県のほぼ中央部に位置し、市街地北側には日本海、南側には刈羽三山と称される米山、黒姫、八石の山々が一望できます。日本海がおだやかな日には、佐渡おけさで有名な佐渡が遠く望まれ、春から秋にかけての刈羽三山は市内外からの登山客に親しまれ、愛好者にとっては山菜や野草の宝庫としても有名です。また、きれいな海は夏には海水浴の民宿・浜茶屋が軒を連ね、また、冬は荒海見物で賑わいを見せます。秋は収穫の季節、おいしい米で名を馳せた「コシヒカリ」が実り、県内外に向け発送されます。冬の北国は、じっと我慢の季節。日本海は季節風が強く、市街地こそ積雪は少ないものの広域事務組合管内の山間地は、二メートル、三メートルの積雪の中、雪消えの始まる春先まで屋根の雪おろしなど、じっと我慢の生活が続きます。

また、柏崎市と言えば東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所でも、全国的に知られています。柏崎市及び柏崎広域事務組合の、構成町村でもあります刈羽村にまたがる砂丘地帯に、昭和四四年原子力発電所の誘致が決定し、昭和五三年一二月に一号機の着工、建設最終号機の七号機が平成九年七月に完成し、総発電出力約八二一万キロワットと、世界最大規模の原子力発電所となりました。この原子力発電所は、消防関係者をはじめ、全国各地から見学者が数多く訪れています。

当消防本部は、昭和二四年七月一日に自治体消防として柏崎市に発足以来、昭和四六年四月一日から広域消防へ移行し、柏崎市、高柳町、小国町、刈羽村、西山町、出雲崎町の一市四町一村で構成され、柏崎市に消防本部及び消防署を、市と町に五分遣所を置いています。

 

 

 

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