3 小出郷文化会館の建設
平成5年に長岡地域と分離した小出地域が広域圏事業として最初に取り組んだのは、圏域の交流、文化振興、情報収集、発信の拠点となる「小出郷文化会館」の建設だった。地域では文化振興へのニーズが盛り上がっていたが、単独町村の文化会館設置は財政的にも難しく、また建設後の利用率の不安、類似施設建設の投資効果の不安などがあり、広域文化振興が必要との認識が高まった。
同会館設立までの経緯をみると、いろいろ問題が多かった。
文化施設に詳しい職員がいないスタートだった。会館をどこに建設するか、設置場所をめぐる綱引きもあった(小出町案と湯之谷村案で約1年間調整、結局、小出町に決定)。住民と行政の意識のズレがあり、もめた。設計、施工上の問題。事業費の財源問題。あれやこれやで、職員が倒れるという場面もあったという。
中でも一番問題になったのは、住民と行政の意識のズレによる確執だった。住民参加の地域づくりをめざして、行政が文化関係団体を集めて「文化会館建設についての懇談会」を開催し、住民の忌たんのない意見を聞くという形をとった。しかし、事実上は行政が全て決定していることを"アリバイ"的に説明するという設定だったため、住民側は「今まで住民が勉強してきたのは何だったのか」と猛反発した。行政の担当者に住民から「会館が出来ても使わない」という、いわば"絶縁状"が突きつけられるという幕もあったという。住民の怒りのパワーが爆発し、住民側が圏域6町村の400にのぼる文化団体に声をかけて「住民による文化を育む会」を結成するという事態に発展した。結局、以降、週1回のペースで行政担当者と住民側とが一緒になって建設基本構想を練り直すことになった。住民の意見がストレートに基本構想に反映され、理事会(町村長)で承認された。
館長の選考も難航した。住民側は行政マンや行政OBではダメと主張したが、なかなか候補者がみつからず、結局、住民側の推せんで民間館長(当時39歳、工務店専務、大工さん)が誕生することになった。住民による文化を育む会を中心に館長を支える組織も誕生した。住民の支援団体として、ステージスタッフ(音響、照明、客席誘導のボランティアスタッフ)、住民プロデュース(ジャズ、映画、ウッディアートの会)、友の会、サポーターズクラブ、などが発足した。
その他にも、いろいろと住民側からの注文が多く、この会館への住民の関心の高さがうかがえる。「この小さな人口で、1,200席のホールが必要か」「外壁の色が周囲にマッチしない」「外壁のタイルはもったいない」「女性のトイレの数が足りない」「障害者や高齢者にやさしくない」……等々。