一番簡単にいうのは、恐らく絵画だと思います。宗教画から普通の人が主役になるまでに数百年かかるわけです。立体的にある幅を表現するために、20世紀の4分の1ぐらい使っちゃったというくらいのことです。バレエというのは5つのステップ(「パ」といいますが)を組み合わせてつくります。それができたのが恐らく1600年代じゃないでしょうかね。それを壊したのが1980年ですから、約300年かけてつくったものを壊した。バレエというのは、物語がありまして、音楽があって、決められたパという足の形と、手の振りが必ず何パターンか決められている。それを組み合わせてつくっているのがバレエの作品。「白鳥の湖」でもみんなそうです。チャイコフスキーの音楽があって、物語があって、その上に幾つかの動きのパターン。それが完成したのが18世紀から19世紀です。
今度はそれを壊し始めます。それをまず物語なんか要らないんじゃないかと考えました。バレエを見に行くときに、例えば「白鳥の湖」では、白鳥がどうなった、こうなったという物語はすでにわかっているわけです。そんなものを見に行くのじゃないだろう。本当は動きを見に行くんだろう。「白鳥の湖」というパターンから物語をとっちゃったというのが1900年代ですから、50年ぐらいかかる。そこからじゃあ音楽も無駄かというまでまた数十年。そういうふうに一個一個解決して、割と今まできている。
伝統芸も同じで、一番伝統芸については驚いたのは、能や文楽はいつ確立したのか。伝統芸というぐらいですから、ずっと古いだろうと思いますけど、実は確立したのが大正なんです。能や歌舞伎なんかは江戸時代に確立した。だから伝統芸だとお思いでしょうが、そんなものはうそです。なぜ伝統芸になったかというと、大正時代に変化させるのをやめたんです。発展させることをやめてしまって、ここでストップをかけたのです。それで伝統芸にしたわけです。
その前までは、伝統芸なんて概念は恐らくなくて、リアルタイムなものだったはずです。明治政府から近代化になって、伝統芸という形で確立して、滅びるのを救い出したということでしょうけど、それと同時に伝統芸というものが生まれて発展が止まったというような二つの側面を持っているのです。だから、伝統を守れ守れということを簡単に言いますが、そんな簡単じゃないということです。伝統を守れというのは、今で言うと大正時代の芸を守れと言っているのです。神楽でもみんな同じです。止めたのは明治から大正です。だから多分文化行政で伝統部分とコンテンポラリーを分けて、伝統は守ってコンテンポラリーは新しいのをつくりましょうというのは、本当は明治以降の政府の論理をそのまま受け入れましたということでしかないはずです。