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大統領に罷免権を与えることによって保たれていた均衡が、13次憲法改正によって失われてしまったと考えられます。後知恵ではありますが、第13次憲法改正というのは重大な意味を持つ改正であったわけです。

ナワズ・シャリフと軍との関係悪化のきっかけとなったのが、98年10月、当時の陸軍参謀長であったカラマート将軍をナワズが解任したことに端を発しています。ナワズは、カラマート氏が軍がもう少し政治的な参加、政治のプロセスに関わってもいいのではないかという発言に激怒し、将軍を辞任に追い込んでしまったのです。

当時、軍の中将であったムシャラフ氏が、陸軍トップに座ることになったのですが、文民による軍トップの更迭というのは、パキスタン50年の歴史の中で初の出来事でありまして、このときもこれに怒りを覚えた軍がクーデターを起こすのではないかという噂もありました。

ムシャラフ氏はムハジールというインドからパキスタンに独立のときに移ってきた移民です。軍の基本的な人種構成は、パンジャブ州の北部から北西辺境州にかけてのアーミー・ベルトと呼ばれる地帯からの出身者が全体の80%から90%ぐらいを占めています。軍において、ムシャラフが属しているムハジールというのは、少数派で、シャリフとしては、自分の言いなりになる、使いやすい人間を軍のトップに据えることで、強権的な政治の基礎を固めようとしたと思われます。

今年5月にカシミールのカルギルで、カシミール独立の戦闘が激化したのですが、このカルギルからの撤退をめぐって、ムシャラフ(軍部)とナワズの関係が決定的に悪くなったと言われております。ナワズ・シャリフは、「カシミールに侵攻しているのは、パキスタン軍の兵士ではない。カシミールの独立を訴える義勇兵である」というスタンスをとっていました。しかしパキスタン軍の服を着た兵士が、戦闘に加わっていることや、義勇兵がパキスタンの軍事施設で訓練を受けているという噂も伝えられ、国際的に反パキスタンの声が高まっていったわけです。一方ムシャラフは、BBCのインタビューに対して、パキスタンの兵隊が戦闘に参加していることを認める発言をしており、2人のスタンスが非常に違っていたと言えます。

国際的な反発が強まる中で、パキスタンは振り上げた刀の下ろし方をめぐって、中国に相談に行くのですが、何ら確約を得ることができなかった。

 

 

 

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