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悪いことには、先進国で扱っていない避妊薬とか、病気でうっかり入院なんかしたら、すぐ避妊の手術をされちゃうんです。それで、占領をしてからは、できるだけジャワから人を入れたり、ジャワとか、バリとか、人口の交換をする。インドネシアでは、いろんなことをやっているけど、ともかくインドネシア化というのが、占領してからは大命題なんです。言葉もテイトン語というのがあるんですが、もう学校では絶対インドネシア語しか教えない。

それから、一番僕が、戦前東ティモールにいて分かったことは、東ティモールの人というのは、非常に誇りを持っている。われわれは「東は日出ずる国だ。西は日の没する国だ」というふうに言っていた。それとなんか誇りを持っているんです。宗教が全然違うでしょう。ポルトガルというのは、敬謙なカソリックですが、インドネシアはイスラムです。だから、全く国の人柄が違う。アイデンティティーも全く違うし、どうみても、あれは一つにはなれないと思う。言語も違うでしょう。僕の見たところでは、人種も、北の方のニューギニアなんかのパプア族とか、そういうのがかなり入っています。多いです。西の方は、ほとんどジャワ人が多い。だから全然違う。だから、1940年の戦争当時でも全然違う国だと思うくらい、西と東は違うんです。

一番僕がはっとしたのは、東ティモールの人たちは「乾杯」のときに、「モリス、ティモール」と言うんです。「立て、ティモール」って乾杯するんです。日本軍なんていうのは、文化なんか全然考えない軍隊ですから。軍隊はどこでもそうですが。

僕は、一番楽しいのは、年に1度のフェスタ、お祭りがあるんです。これは日本が占領したときからずっと途絶えていたんです。僕は、すぐフェスタを再開しようと、フェスタを再開させたんです。

そうしたら喜ばれて、3日3晩踊るんです。大体、太陽が没すると踊り始めるのですが、南の国ですから、雨期と乾期が完全に分かれていまして、南十字星が出るでしょう。椰子の木の下で踊るわけですから、それはすばらしいですよ。3日3晩ですから、朝になったら寝ちゃう。寝転がって、寝るんです。また、夕方になると起き出して、踊り出すんです。それを3日3晩やっていました。そのフェスタをやって、そのときに一番みんなに喜ばれましたね。もちろん僕らは軍服を脱いでやったんですけどね。なんかやはり友達という関係になったという感じがしました。

だから、テーマは人間だと思います。言葉が通じたか分からないけど、あそこはテイトン語というのは、語数が少ないんです。

 

 

 

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