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そして、すべての植民地を解放すると宣言した。それで、アフリカのモザンビークだとか、アンゴラとか、ギニアとか、みんな独立するんです。東ティモールでもすぐ独立しようという運動が起きるわけです。独立運動が起きるときに、その中で、もちろん必ず幾つかの政党ができるわけですが、フレティリンという、日本語に訳すと「独立革命戦線」というんですが、それが庶民の代表として台頭してきたわけです。それがあって、そのほかUDTとか、アボディティとかがあるんです。

UDTは、政府の高官、政府からいろいろ仕事をもらっている人たちの団体です。そういうのがあったんですが、ほんの3週間ぐらいでフレティリンというのが支配をしてしまうわけです。それで、フレティリンが支配したときに、インドネシアの方が、これは大変だというので、いろいろ宣伝するわけです。フレティリンというのは共産主義だとか宣伝したんです。フレティリンの人に聞いてみたら、コミュニズムという言葉すら知りませんと言っているぐらいで、何も関係ないんだが、日本語に訳すと「独立革命戦線」だから、いかにも左翼のように聞こえますよね。

ただ、ベトナムだって、別に共産主義でも何でもないんだけど、独立しようという運動があって、それに対してアメリカは爆撃するわけです。世の中ってそんなものだと思いますが、これは危ないというので、インドネシア軍は、西ティモールはインドネシアになっていますから、UDTをそそのかして混乱を起こさせるわけです。それで内戦になる。そのときにはNHKのカメラマンなどが行っていて、ちゃんと映像になっていますから、だれでも証明できるんです。どういうふうになっているか、全部分かります。それから、そのころは朝日新聞とか、共同通信とかの記者も行っていまして、書いています。朝日新聞は、そのとき社説まで載せましたね。日本はもっと人道外交をやれと、そんなことを書いていました。

結局、75年12月7日にインドネシア軍が侵略するわけです。何の意味もないですよ。ただ東ティモールの方からそういう要請があったと。大体そうですよ。要請があったということで入るんです。ちょうどチェコをロシアが占領するのと同じです。要請も何もしないんだけど、要請があったといって侵略する。みんなそうです。僕は、そのときロシア大使館へ行ったんですが、僕は、そのとき社会党にいて、書記長が石橋氏。「行こう」と言ったら、政治家はすぐ「情勢をよくみて」と言うんだから。「侵略に決まっているじゃないか」と言って、僕一人で行ったんです。

 

 

 

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