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あそこへ行くと時間がゆっくり流れているなという感じがしました。時計が止まっているんじゃないかというぐらいです。シンガポールからジャワ、ジャカルタ、スラバヤ、そしてティモールヘと行ったんですが、スラバヤへ行ったときに、先輩の主計官に「君、あそこは地の果てだよ」「今のうちに、遊んでおけ」と言われて、その先輩が、前借りしてくれて遊んだ。遊んだといっても1週間ぐらいぶらぶらして、それでティモールへ行ったんですが、地の果てどころか、僕にとってはすばらしいところでした。

ちょうど僕が行ったときは、最初の上陸作戦が終わった後でしたから、もう戦争はなかった。ただ空爆だけは、オーストラリアから飛行機で1時間かからないから、毎日朝の散歩に来るんです。こっちは高射砲がない。自由自在に走り回っている。そんな時代でしたけど、それでも空爆を除けば、地上では戦争がなかったわけですから、僕にとっては本当にすばらしい。

人間というのは、原始に近いほど人間が純朴なのでしょうかね。子供なんか目をくりくりさせて、本当にかわいい子供がたくさんいました。そういうところだった。

小スンダ列島の一番東にティモール島というのがあるんです。その東半分が東ティモールで、西が西ティモール。片方がオランダ領で、片方がポルトガル領です。それで1945年に戦争が終わって、それからすぐインドネシアの独立。僕らは戦後、スカルノに会っている。どこかの洞穴の中で会って、独立戦争に参加してくれないかとか言われたことを覚えています。それをやって、スカルノによって旧オランダ領は全部インドネシアになる。

そのときに、当時のインドネシアの外相が、「東ティモールは別の国だ。あれは、ポルトガル領であって、われわれとは関係がない。別の国だ」というふうにはっきり言っているんです。それも証言がたくさんあるんです。それなのに、どういうわけか分からないけど、侵略してしまったわけです。それで、ずっとポルトガル領できていまして、4百何十年と続いて、それから、日本が3年間占領していたんです。占領する必要は何もなかったんです。僕は平気で参謀長とか師団長に、なぜこんな所を占領しているんだ、何の戦略的意味もない、という話をよくしたんです。

その後、1975年にポルトガルの政変が起きました。それまで、サラザールという独裁政権が続いていたんですが、それが倒れて、社会民主主義の政権が誕生しました。

 

 

 

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