それについて書かせていただいたのです。簡単に申し上げますと、多文化主義ということで全て片付く問題ではないんじゃないかという、逆に多文化主義に対する疑問を書かせていただいたわけです。
そういう視点から見たときに、今回のユーゴ空爆がどう見えるのかということです。文明の衝突とか、あるいは冷戦後は、民族問題、宗教問題が主要な紛争の原因になるといういろいろな意見が出ていると思います。私は、恐らく、先程ご質問にも出てきましたけれども、EUの統合とか、あるいはアメリカ一極化、この流れと分離主義、あるいは民族運動は、切り離してみると見間違うのではないかという気がちょっとするわけです。
つまり分離主義、民族主義は、常にある種の統合の流れに対する、それに棹差す流れであったり、それに反発する流れであったりするだろうと思います。先程申し上げたように、この旧ユーゴ解体のきっかけになったクロアチアとスロベニアは、自分たちが最もヨーロッパに近く、しかも豊かである。旧ユーゴにとどまるよりはEUの流れに乗っていきたいという、それが根底にあったと思います。あるいは、旧ソ連解体の流れの中にあって、ロシア民族主義も、われわれは豊かであり優越している。その流れの中に乗っていきたいという動きが一方にあって、結局、旧ソ連という枠組みそのものが解体に向かっていくという側面があるのかなと思うわけです。
ですから、ある意味でアメリカに起きている多文化主義も、モノ・カルチャーとのセットで見ないと、見間違うかなという気がしています。アメリカが外に向かうときは、例えばディズニーランドであるとか、映画音楽にしても、非常にモノ・カルチャーに見えてしまう。あるいはそれだけの力を持ってしまうわけです。その流れとアメリカの国内で起きている多文化主義の動き、総体化をしていく流れは、必ずしも矛盾はしていない。それがアメリカの非常に複雑な性格なのかなと思っています。
ただ、今申し上げたことの延長で言えば、セルビアについては、あまりにもアメリカは国内に向けて単純な図式で物語っている、あるいは単純な見方をしていると、私は思います。これは、国連にいたときから思うのですが、恐らくバルカンの歴史、民族の複雑さは、ヨーロッパから見てみないとわからない面があります。それがアメリカの単純な図式によって歪められて、ますます混迷に向かっていくんじゃないかというのが、今の時点での私の感想です。お答えになっていないかもしれませんけれども。