これは、ドイツでも、緑の党から出たヨシュカ・フィッシャーさんが外務大臣を務めていたわけで、彼はトマトか何かを投げ付けられて、だけど、介入しなくちゃいけない場合もあるんだというふうに言っていました。私はどちらかというと、それは非常に苦し紛れの非常に厳しい選択を迫られてのことだったのではないか。一言で言うと、統合に向かうEU、あるいは団結しているNATOから外れたくないという、仲間外れにされたくないという消極的な気分が今のヨーロッパを覆ってるんじゃないかと思います。それはヨーロッパだけではなくて、恐らく日本でも社民主義と呼ばれている方たちのムードとも非常によく似ているんじゃないかなと思います。
それは社民主義の変質かどうかというふうに考えると、私は確かに変わったんだろうと思います。それは、冷戦後という新しい事態にどう対応しなくてはいけないかということを迫られている時期だろうと思います。この前、朝日の夕刊で、スーザン・ソンタグさんというアメリカの批評家と大江健三郎さんが往復書簡をやっておられたのを拝見していまして、ソンタグさんの言い方が非常に印象に残ったのです。
かつては戦争をしない、アウシュビッツを繰り返さない、この2つを守っていれば、よしとされた。ところが、アウシュビッツが間近に迫っているときに、戦争をしないということを守り続けていいのかという事態もあるんだ。逆に言うと、戦争をしなければアウシュビッツを食い止められない、そういう事態になったときに、あなたはどうするのかという疑問を突き付けられたんだと書いておられたのが非常に印象的でした。
私は、ソンタグさんの今回のユーゴ空爆についての見方に対しては反対です。つまり、今回は、そういう事態であったというふうには私は思えないのです。ただ、彼女が出した設問自体は非常に正しいと思いますし、そういう問題に直面するのだろうと思います。つまり、われわれは戦争をしない、あるいは他国を攻撃しないというだけで平和を維持できにくくなりつつある。それが、今の冷戦後の状況なんじゃないかと思っています。
3つ目のご質問ですが、多文化主義から見た今回の空爆ということで、ちょっとご説明させていただきます。私がある場所で書かせていただいたことは、アメリカにポリティカル・コレクトネスという一種の文化運動が90年代に起きました。白人で西欧中心で、あるいは男性優位という今までの価値観を根底的に問い直すべきだ、多文化の視点からこれまでの歴史とか価値観を全て再編成するべきだという運動があったわけです。