つまり、アルバニアという国があります。コソボにいるアルバニア人は、セルビア共和国の中では少数派になります。その少数派が、もしコソボ独立という形で国境の変更を伴って独立するとしたら、同じような例が、特に旧東欧には無数にあります。これをいったん認めると、国境は常に揺れ動いてしまう。あるいは、不安定化することになりますので、これを認めることはかなり難しいわけです。では、主権国家セルビアの中のコソボとして認められるか、自治州として認められるかと言いますと、これもかなり難しいのが現状だと思います。
ユーゴ空爆のきっかけは、その前のランブイエ和平交渉で、将来のコソボの地位をどうするかをめぐって、結局はユーゴとコソボ側の折り合いが付かなかった。セルビアが蹴ったので、だから、NATOは空爆をしたという経緯だったわけです。ところが、そのときの条件で、3年後に法的な地位について改めて考えるという項目がありました。これは、コソボのほうでは、独立を含むというふうに捉えたわけです。セルビアのほうでは、とても受け入れられないということで、結局は、物別れに終わったわけです。
将来、この問題をめぐって、また必ず問題が再燃するだろうということが言えると思います。つまり、KLAは、将来、コソボの独立解放を掲げていますし、セルビアとしては、とてもそれは認められないというふうに、基本的な立場が食い違っているわけです。ですから、これはコソボを共和国としての国家連合の形でユーゴの中に止めるとか、そういう形にしない限り、恐らく問題は解決しないと思います。ただ、それをめぐって、本当に和平交渉ができるのかどうか、かなり疑問ではないかと思います。
なぜ、そうなのかということをいろいろお話したいのですが、まず簡単に歴史の背景をご説明したいと思います。お手元のコソボ紛争関連年表、90年以降の主な流れを書きました。バルカンの地図があると思います。
非常に簡単に、コソボは何なのかというのをご説明したいと思います。地図の赤く印が付いているのがコソボです。こうしてみると、大きな場所のように見えますが、広さも人口も日本で言えば、岐阜県ぐらいです。ここに4万7千と言われるユーゴ軍が入り、それが撤退して、代わりにKFOR(安全保障部隊)、コソボ国際部隊の5万人近くが今、展開しつつある状況です。ベオグラードがあってコソボが一番南の端にあって、アルバニア、マケドニア、モンテネグロと接しています。この地図は、後でまたご説明したいと思います。