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司会 時間になりましたので、セミナーを始めさせていただきます。

きょうは、朝日新聞編集委員の外岡さんから「戦火の果て コソボ紛争 現場から」というテーマでお話しいただきます。外岡さんは、実際、コソボの現場に赴かれまして、現地で実際に取材をされ、朝日新聞夕刊に5日間、記事を連載されております。

外岡さんの経歴を申し上げます。1953年札幌市にお生まれになり、1977年東京大学法学部を卒業されました。その後、朝日新聞社に入社されまして、学芸、社会、外報部、ニューヨーク特派員、『アエラ』記者、論説委員等を経て、現在は編集委員としてご活躍されております。それでは、外岡さん、よろしくお願いします。

 

2. 講師報告

 

外岡 こんにちは。ご紹介いただきました朝日新聞の外岡と申します。きょうは、暑い中、お集まりいただいてありがとうございます。ご出席の方々の名簿を拝見しておりますと、皆さん、ご専門家であられたり、私よりずっと国際関係その他にお詳しい方々ばかりなので、とても緊張しています。

今、ご紹介いただいたように、私は社会部中心に取材活動をしてまいりましたので、バルカンの歴史とか、あるいは軍事専門技術に詳しいわけでもありません。主に現場派と言いますか、実感派と言いますか、現地で人々がどういうふうに感じ、また生活しているのかということを、その場で取材をして報じてくるということが多かったわけです。

ちょうど89年から93年にかけて、ニューヨークで国連を担当していました。その間に、ノリエガ将軍の逮捕という結果になったパナマ侵攻がありました。そのときに初めてステルス戦闘機が使われて、その取材に当たったり、あるいは91年、湾岸戦争のときには、サウジアラビアのダーランで、初めてスカッド・ミサイルの攻撃とか、あるいは多国籍軍によるピンポイント爆撃を、現地で取材する機会がありました。

その後、国連を担当していた関係で、カンボジアとかボスニア紛争のときのクロアチアとか、クロアチアの中にあるクライナに行ったり、100万人近い、少なくとも50万人以上が虐殺されたというルワンダを取材する機会などもありました。そういう中で、紛争というのは、今、どういうふうに変わりつつあるのかを取材するというのが、私の1つの宿題というか、そういう形になってきたわけです。この4年ぐらいは、沖縄に月に1回通っています。日本の中の米軍基地、あるいは日米安保に関心が移って、最近は、もっぱら沖縄問題を中心にやってきました。

 

 

 

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