なぜこういうふうに書くのか。今の職員の登用はどういうことになっているか、皆さんご存じかどうか知りませんが、職員にはみんな道というか、紐がついているんです。これは総理府、これは大蔵省、これはどっからと、どのポストがだれ、とみんな固定している、ルーティン化しているんです。どうもそれを続けたいという意思がこの表現に出ているのかなと思うわけですね。
行革会議の議論をずっと読んでみますと、官邸の職員というのは上から下まで、特別職と否とに関わらず、全部政治的任用にすべきだという考え方があったように思えます。もちろんクラーク(Clerk 事務員)のような人は別ですよ。そうじゃなくて、少しでもモノを考えるポストにある人はすべて、特別職だけではなくて一般職も政治的任用であるべきであるという考え方があるんですが、どうもそこを政治的任用は15人に限って、一般の職員は今言ったような「優秀な人材」と「専門的な人」を別々に採用するみたいな話なんですけれども、それはそれで道がついている人たちを取ろうというわけです。そうすると、今までの内閣官房と大きく違うのは、内閣官房が今までより強くなったわけですから、そこへもってきて、政治的任用であるにしても、内閣の内閣官房危機管理官、あるいは内閣官房副長官補などは、かなり優秀で、専門的知識があり、経験豊富な人でないともたない。ということは、霞が関あがりの人でないと、民間の人がすぐ危機管理官をやりなさいといったって、どこをどうしていいかわからないし、今、内政室長がやっている、あるいは、外政室長がやっている、安保室長がやっている仕事は民間の人にはなかなかすぐには難しいんじゃないかなと、私は率直にそう思います。
政治的任用の人たちも、大部分は役人がやっぱり占めるであろうなと。だから、あまり従来と変わらない話になるんじゃないかなと。ただ、総理大臣が変わるときに一緒にやめるという効果はあるかもわかりません。
もう一つ、一般職のほうも含めて考えますと、内閣官房は今までより強くなるわけですから、今までのような固定した人事にどうしてもなりがち、そうしたいような流れですね。そうすると、官房が案をつくるのですから、今まで以上に官邸を官僚がコントロールすることになるのではないか。官僚というと、霞が関は大蔵省に右ならえになりますし、実態から考えて、はっきり言って大蔵省が霞が関でどういうポジションにあるかということは、皆さんご存じのとおりで、少々のことがあったってびくともしません。であれば、結局、霞が関の力関係を考えれば、やっぱり官邸を抑えるのは大蔵省であるという結論をここで私は得た。