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岸田 最初、中国の国境画定の問題と日本との絡みですが、中ロの国境を画定したときに、やはり、沿海地方などから強い反対が出ました。しかし、エリツィンは押し通した。先ほども申し上げましたように、外交という点について、大統領権限が絶対ですので、たとえ地方が文句を言ってもなかなかそれが受け入れられない。ですから、ナズドラチェンコという知事が大反対して運動したんですけれども、結局は何も実を結ばずにそのまま承認された。ただ、この背景としては戦略的パートナーシップ、エリツィンの好きな言葉ですが、中国というのはロシアの戦略的パートナーシップだと。ただ、歴史的にも日本の場合と違うのですが、その中国に対しては、ロシアが中国のあの辺についてはよりえげつなく分捕ったというところがあるので、ある程度返しても仕方がないのではないかというようなところもあるのと、それと重要な島2つについてはまだ棚上げ状態で、完全な画定ではないのです。あまり戦略的にも重要ではなくなってきているのと、それと、中国重視の政策から、エリツィンがゴーを出して承認されたという感じです。

では、この中国の例が日本にあてはまるのかという議論ですが、これは、確かに一時日本の政府の内部でも、中国との国境を画定したのだったら日本でもできるのではないかといったような議論があったのですが、どうもみていると、中国に比べてそんなに外務省サイドも、大統領サイドも、日本との国境画定に対して真剣に努力しているというような印象はあまりありません。

もちろん、北方4島については私自身も日本のものだと考えていますし、第2次世界大戦のどさくさに紛れてスターリンが分捕ったという印象があります。ただ、そういった認識が国内ではあまりありません。それで、中国との国境画定のときはマスコミなどがそんなに騒がなかったのですが、ほとんど最後の調印間際になって急に出始めたという感じです。地方の知事などはそれより前から騒いでいましたけれども。ただ、日ロの国境画定については、ロシアのマスコミの関心は高くて、選挙を控えて、「はい、そうですか。返しましょう」というような形で言えるような決断になりません。

エリツィンが93年に来たとき、ちょうど、これは最高会議を武力で制圧した直後の訪日でしたが、北方領土の返還問題の質問に対して、「あなたたちは返せと言うでしょう。しかし、私がイエスと言えば、もう僕はロシアに帰ることができなくなる」と答えました。そういったような発言をするほど、エリツィン自身も4島の問題に対してかなり神経質になっていました。ですから、全体的な動きとして、ちょっと中ロの例がそのまま日ロにあてはめられるという感じはしません。

 

 

 

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