司会者 ほかに何かございますか。
E コモングッズというコンセプトに対してコメントをいただけますか。それから、コモングッズと学部教育の中のデポエデュケーションの関係についてお話ししていただければと思うのですが。
上野 やはり私が思ったのはコモンコーズ(common cause)ですね。アメリカ社会の何がユニークかというと、コーズというものを考えなさいということを社会の中に入れたことだと思います。それを入れたことというのは難しいのだけれども、やはりコモンコーズのために、ただパースート・オブ・ハッピネス(pursuit of happiness、幸福の追求)だけでなくて、ハッピネスがコモンコーズを含んで、コモンコーズのために働くということをハッピネスの一部として入れたこと、それがアメリカの建国の精神から始められた。コモングッズ、コモンコーズということのコンセプトを入れたということがすごく違うと思います。それは高等教育なんかを含めてですけれども、日本にももちろんあるのだと思うのですが、シビル・エディケーション(市民教育)というものがありますね。そういう意味で、コモンコーズを考えさせるようないろいろな意味での仕掛けをつくっている。それが大学の教育の中にも幾つかあると思います、大学の教育の中にもいろいろなおもしろいクラスがあって、ユニークだと思うことがありますけれども、ただ、アメリカの社会にそれがあるからといってすべての学校にあるということではないし、全くそれぞれの学校が違うわけで、そういう意味でコモンコーズ、コモングッズを考えさせるところがあると言いながら、じゃあ一体どこにあるかと言ったら、それはさまざまに違うわけです。日本のように公民教育は全国一律文部省教科書があるということではないので。
もう一つ言えば、市民の義務ということで非常に重要視しているということは、陪審員制度なのです。陪審員制度というのは素人の市民が法律の裁判にかかわることです。それを市民の義務としているわけです。これはものすごい問題がありながら、200年前に、トーマス・ジェファソンを含めた建国の父たちが考えた非常に重要なことで、今も続いています。市民が法律、社会の法、裁きというものに常に関心を持っていかなければならない。そのためには義務として必ずジューリー(陪審)に参加せよということを義務付けたわけです。これは民主主義社会の中で非常に重要な意味を持つといえます。