でも、私はこれからプライベートシチズンとして活動する。そこに非常に誇りを持っている」と言っているわけです。アメリカ社会で一民間市民というのは非常に重要なことであるわけです。プライベートシチズンとして私は社会にコミットするということですと、それは非常に大事なことだというふうに思う社会があるわけです。
D イメージとしてとか、文献やテレビを見るとそういうことはすごくよくわかるのですが、実際に町や州の中で本当にすみずみまでそういう意識というのは浸透していて、例えば、みんなが選挙に行くとか、本当にみんながそういう意識を持っているのでしょうか。
上野 選挙投票率はものすごく悪いです。ただし、逆に言えばコミュニティの問題の方が投票率は高いということがあります。政府の下院のクラスになると投票率が低かったりということがあります。ただ、投票率だけで言うことができないのです。リーダー層の焦りは、もっと参加させなければならない、もっと参加してもらわなくてはならない、市民教育というのは大事だということで、よく知らされた市民をつくることをものすごく大事にしています。だけど、みんなが市民であるかどうかといったら難しい。ただ、市民意識を育てようということがあると思います。
200年前ですけれども、トーマス・ジェファソンが、できるだけ人々を一番自分に近いガバメント、公的なところにできる限り参加させること、それが一番大事な市民教育だと言っています。そのためのいろいろなシステムをつくってきているわけです。参加ということは非常に大事だということを繰り返しています。繰り返していなかったらやはり意識は落ちていく。コミットメントをどうやってさせていくかということを必死に考えています。それをガバメントがコミットさせることは大変だし、自分たちに文句を言われるけれども、でもそれが社会を強くするというふうに思って、そう信じてやっている。それこそ「情報を公開しているから見にきてください」ではなくて、情報は知らしめなければならない、知らせることがガバメントの責任である、としています。どこまでやっているかという疑問はもちろんあるけれども、でも、できるだけ外に出そうとしています。それはある意味で日本の政府も現在いろいろな意味で努力をしはじめているということでとても大事だと思います。ガバメントの姿勢と同時に、「私たちは情報を取る」と市民が強くなることが非常に重要な日本のこれからの問題だと思っています。
そういう意味で、アメリカでは、少なくとも市民をできるだけ政治及び社会にコミットメントさせようということを意識しているのがリーダー層であると思います。