それはやはり全体としてアメリカの民主主義社会をつくっている非常に大きな基盤があって、さらにノン・プロフィットも非常に重要な役割を果たしています。
そこら辺を含めて、じゃあ日本の教育に対して何を言うのかということになると、いろいろと議論があると思いますけれども、今、私が望みたいことは、ひとつは内向きにならずに世界の中で、世界がどう向くのかということを含めた中で、やはり民主主義というもの、市民社会というものがこれから非常に重要な核であるということから、そして個人の創造性ということが非常に重要な意味を持っているということから、もう一度教育を見直してほしいということです。
ただ、それでもアメリカ社会はいろいろな問題があって、この間の学校の銃乱射をした男の子たちの家庭を見ても、どうして両親たちが、爆弾をつくるのを知らずにいたのかということは非常に大きな問題としてあります。両方ともいい家庭で、立派な家で、コロラドのよき中流家庭の家族であるということは明らかです。しかし、子供と親とが離れているという感じがありました。友達の女の子が「あの子たちやっぱり寂しかったんだ。私、抱きしめてあげればよかったわ」と言ったというのですが、私は、そこにアメリカ社会の一つの問題があると思うのです。
私も子供を育てるときに、私の娘はいろいろな事情からプライベートスクールに行ったのですけれども、先生から「ティーンエイジャーを扱うときに、お母さんたちは一つ、親としてやってくださいね」と言われたことがありました。その時は「時々ただ抱きしめてあげてください。それが一番大事なことです。そして"I love you"と言うことですよ」と言われて、ああ、そうかと思ったことがあるのですが、そういうことを含めてやはりアメリカ社会の失いつつある、日本の社会も失いつつある原点を押さえ、子供たちを愛し、子供たちと面と向かい、子供たちを抱きしめるということを含めて、そこから初めて民主主義社会というものをどうしていくかを考えていかねばと思っています。それをどこから切り開いたらいいのかわからないけれども、一つ一つのことを面と向かってコミットしていくということをやりたい、それはやらなければならないと思っているのですけれども、それは違いますか。そこら辺はどうしたらいいのでしょうか。
もうひとついえることは、価値観を育てていくことが大切だと思います。日本の教育の現場の中で創造性や責任感のことが言われていますが、もっとそれらについて議論をしていかなければならないと思います。創造性とはなにか、責任感とはなにかと。例えば自己責任ということで、他の人との連携はどうでもいいのかというとそうではないし、こういったことを含めて、日本の教育界に価値観の混乱がみられます。文部省がでなく、ノンプロフィットセクターを含めたところで、いろんな議論の過程の中で、価値観を育てることをもっと考えていいと思います。
まとまりがありませんでしたけれども、そういうことです。後でまたちょっとディスカッションをしながら整理させてください。