アメリカの特殊性の一つは、独立宣言と建国の父に帰ると思うのです。建国の父というと、トーマス・ジェファーソンをはじめとする7人くらいのアメリカ建国の憲法、独立宣言の憲法をつくった人たちですが、彼らが継続的に国をつくり続けるということを発明したわけです。それ以前から人々が住んでいたところに、人々が自由をアメリカの大地に求めて、インディアンを押しのけて乗り込んでいった。その後から国というものをつくった。人々の方が先で、国が後にできて、その国を発明する際には、その作業を人々のものとした。国をつくり続けるのは人々の責任ですよと、私たちが国をつくり続けるということ、国は常につくり続けられ、更新し続けられなければだめですよということが出発点としてあった。我々の自由を保証するのは常に権力を小さくし、権力をコントロールし、権力は必ず腐敗するゆえにそれをコントロールし、つくり変える。しかも常に私たちがつくり変える。その責任が国民にあるという形でつくられた国なのです。
そこが日本とは非常に違うところで、何千年もの歴史を持った国があって、そこに臣民であり国民があるという形でのつくり方、つくられ方とは違うわけです。特にまた日本は強い観念があって、その国が変えられない、変わらないものとしてあるというふうに思っていると思うのです。「国を変えないことが国であるということである」という観念があると思うのです。それに対してアメリカ社会というのは、国は変わり得るものである、自分たちが変えていく、自分たちがつくる国だ、国は更新していっていいということで、長く継続的に更新していくことが非常に大事なことであるというわけです。過程、プロセスです。いろいろな意味で国というのもプロセスで、民主主義というのもプロセスです。民主主義というものは、パーフェクトなもの、到達点を目指すものでなく、プロセスが重要になってくるのです。
そこに非常に大きな違いがあって、だからこそ更新の知恵をつくるために必要なものとして、私は、インディペンデント・セクター(independent sector)の役割が大切であるというふうに思っているわけです。ガバメントは必要悪であり、必要悪だからこそ、できるだけよくしなければならない。常に監視していかなければならない。でも、常にこれはつくりかえられるものですから、私たちが責任を持ってつくりかえますよ、ということがあるのだと思います。そこで、いろいろな意味での違いということが出てくるし、チェック・アンド・バランスの必要性とか、分権の必要性とか、市場の重要性、個人の財産の必要性など、いろいろな思想が出てくるわけです。ただ、最も基本的なところには、国はつくりかえられるものだということがあるのです。