100万個以上保有している地雷というものを廃棄しなければならなくなるわけですが、廃棄するにあたり新たに予算を組んで、代替兵器を購入していくわけです。これは私たちの活動のジレンマでもありますが、一方で地雷という兵器をなくすことを推進しながら、他方で新たな兵器を購入する、もしくは開発することの片棒をかついでいるのではないかというジレンマがあるわけです。
それをどうして容認してしまうのか。この点は核なんかでもそうなのですが、軍縮運動、一番最初に申し上げた軍縮運動、平和運動という問題設定をしていたら、こういうプラグマチックな手段は採択できなかったわけです。もし地雷が平和運動や軍縮運動であれば、当然ですが代替手段の開発もしくはプロキュアメント(調達)ということを容認することは当然できないわけです。なぜそれを容認してしまったのかというと、これは地雷というものがまさしく人道的な問題であって、20分に一人の割合で被害者が出ているというこの現実のなかでは、ほかに兵器が開発されてもその兵器が実際に被害を生まないのであれば、とりあえず20分に一人の割合で被害を出している地雷をなくすことが、地雷で被害に遭っている国々で暮らす人々のとっては、もっとも現実的な選択ではないか、ということが背景にあったわけであります。
もちろん、その国のキャンペーンですとかNGOによっては、代替手段の開発を認めない、もしくは新たな兵器を購入するということに反対するキャンペーンをしている国もあります。しかし、この代替手段の開発を容認したことによって、例えばまだ条約には署名していないアメリカも、代替手段が確保できれば、それを条件に条約に署名するということを方針として明確に打ち出していますし、代替手段の確保に努めているわけです。
以上、ICBLの7つの特徴をご説明させていただいたわけですが、ICBL、言い換えると地雷にかかわってきた人々、NGOは、非常に運動をプラグマチックに推進してきた。目的のためには手段を選ばず、と言ってもいいかと思うのですが、内輪もめや人間関係、もしくは運動の方法論や思想、こういったことによって地雷を廃絶するという目的が損なわれないよう、常に軌道修正しながら活動を推進してきたわけです。その結果としてICBLは、交渉過程、すなわち地雷が廃絶されるその過程そのもの、これは政府との交渉のみならず、市民社会でどういったイニシアチブをとってきたのかといったことすべてについて言えることですが、そういう過程を著しく透明化させることに成功したわけで、誰もが参加できる極めて門戸の広い活動をすることができたというふうに言えると思います。