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このアクスワージー外相の発言についてですが、どうしてそのような勇気があるというか、大胆不敵な発言をしたのかという疑問が湧きます。もちろん市民社会と連帯していけるという確信があったからにほかならないわけですが、その当時の様子をカナダの外務省の方にいろいろ話を伺っておりますと、オタワ・プロセスというものを主導させるにあたってのマイナス面というものも多々考慮したということであります。

当然ですが、カナダ政府は一カ国にも、この点について事前に相談をしませんでした。当時のICRC(赤十字国際委員会)会長および国連事務総長の二人には電話でこういったイニシアチブをしたいと思うということを報告したわけですが、どの国の政府にも一切報告せず、アクスワージー外相、つまりカナダが独断で決めたわけです。

そのときの様子ですが、アクスワージー外相にブリーフィングした外務省の職員は、もしこのイニシアチブをカナダがとれば、世界のトランスナショナル・シビルソサエティーは、あなたの後ろであなたを支持してくれることは間違いないというふうに申し上げたということです。その結果、アクスワージー外相は英語で「レッツ・ドゥ・イット」というふうに言いまして、爆弾発言をするに至ったわけです。

その後この発言はもちろん世界中を驚かすに至りまして、フランスやイギリス、もちろん米国もそうですが、非常に大きな圧力をカナダ政府にかけました。とんでもないと。全面禁止条約を1年2カ月で実現させるなどというのはとんでもないということで、さまざまな圧力をかけたわけでありますが、アクスワージー外相のコミットメントというものは非常に強固なものがありまして、市民社会と連動してこの条約を作り上げるに至ったわけです。

先ほど申し上げたとおり96年1月、第1回目の政府とNGOの合同会議には、8カ国しか参加しなかったわけです。しかし、その後徐々に支持する国が増えまして、最終的に122カ国が署名したというのは先ほど申し上げたとおりです。これは次の特徴にもかかわってくることですが、ICBLと中堅国家が協力したオタワ・プロセスという流れのなかで、地域的な取り組みの連結というものが、非常に大きな役割を果たしました。

 

 

 

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