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さて、ICBLが所有する知識ですとか、情報を共有することによって、それぞれの国のNGO、すなわち市民社会が非常にエンパワーされる、つまり力をつけることができたと言えます。これは例えば、日本の地雷キャンペーンが好例なんですが、日本には残念ながらNGOで、直接地雷を除去しているところは存在しません。被災者の救済に向けた車椅子の提供ですとか、もしくは義肢の提供といったようなことをしている団体というのはいくつかありますけれども、本当にわずかです。

従いまして、地雷の被害国における状況というものを、なかなか把握しにくい現実があるわけです。いつ、どの国で、何人被害者が出たのか、そのときの現実がどうだったのか、地雷はいつ、いくつくらい除去されたのか、そのタイプというものはどういうものだったのか。こういった細かい情報については、私たち日本キャンペーンでは全く入手することができないわけですけれども、ICBLが常に情報を流してくれるお陰で、こういった情報を大量に入手することができたわけです。

この情報を入手するとどのような利点があるかと言えば、世論に働きかける際、メディアに働きかける際だけでなく、政府に対して働きかける時にも役立ちます。私たちが経験したことですが、外務省に行っていろいろお話しているなかで、外務省の方も御存じないような情報を私たちは入手することができた。これは我々にとっては極めて怠慢な方法であるわけですが、ICBLというネットワークがあったからこそ私たちは独自には入手できない情報を手にし、それを活用することによって、政府と対話することができたと言えると思います。

5つ目の特徴ですが、市民社会と価値観を共有する政府、この政府とのNGOとの連携ということが挙げられます。これはまさしくオタワ・プロセスそのものに関わる特徴と言えます。どうして中堅国、まあ大国が不在のなかで、中堅国と市民社会が協力することができたのかということですが、これは極めて簡単な理由からです。そもそもオタワ・プロセスというものを始めたのがNGOだったからであります。

96年の1月17日だったかと思うのですが、国連のビルで第1回目のNGOと政府との会合がもたれました。この会合を企画したのはNGOですし、それにぜひ来てくださいと呼びかけたのもNGOでした。そこに参加した国々、その当時8カ国だったわけですが、こういった国々がNGO、市民社会と協調しながら、何か打開策を見出そうという動きを水面下で進めた結果、96年の10月、先ほど申し上げたオタワでの会議で、アクスワージー外相が「97年の12月に条約を調印しましょう」という「爆弾発言」をするに至ったわけであります。

 

 

 

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