しかし、私の限られた経験ですが、国連の人間居住環境会議(ハビタット会議)ですとか、国際刑事裁判所(ICC)設立に向けてローマで昨年開かれた会議など、国際会議に出席して実感することは、NGOのなかにも対立や競争、そして人間関係のもつれなどが多く存在しますので、ICBLのようなかたちで、まさしく一丸となって活動するという例は極めて異例だというふうに言えると思います。逆に言えば、ICBLが急速に世界の中で支持を広め、オタワ・プロセスを通じて条約を実現させた一つの大きな成功要因は、目標達成のために、以上のようなNGO間の協力態勢を実現することができたからであると考えております。そうしたことが可能になった背景には、やはり、活動の目標設定がしっかりしていたことが挙げられると思います。
ICBLというものは、極めてゆるやかな連合体でした。全く規則もありませんし、先ほどちょっと申し上げましたように、銀行口座もないほどで、住所もない、事務所も全くないというなかで、単にやりたい個人や団体が参加したいのであればいつでもどうぞと。それに対しては、全く規制はかけないし、オブリゲーションもありませんと。でも参加したいのであれば、唯一、対人地雷というものを全面的に禁止するという、この点だけは同調しなければなりませんでした。これは極めて分かりやすい点のようですが、実は地雷の問題というのも複雑であります。今日その詳細についてお話ししませんが、例えば対戦車地雷というのもございますし、対戦車地雷と対人地雷を混合して使う極めてバウンダリーな曖昧なものも存在します。ドイツ・キャンペーンのようにキャンペーンの目的は対人地雷のみならず、対戦車地雷も廃棄するという活動をしてきた団体もあるわけですが、ICBLにおきましては、対戦車地雷を含めると不必要な軍事的な交渉の摩擦を政府と起こす可能性があるので、対戦車地雷というものは含めない、あくまで対人地雷だと。そういうことで、この点に賛同すれば、どのような個人であれ団体であれICBLの傘下に収まることができたわけです。だからこそ、目標達成のために、前述のようなNGO間の協力態勢を実現することができたと思います。
対人地雷に反対するという点に賛同していれば、どのような個人であれ団体であれICBLの傘下に収まることができたと申しましたが、97年12月に条約が成立した後、ICBLのなかも、ご多分に漏れず、さまざまな人間関係ですとか、NGO間の確執とかいうものが表面化しました。その結果、ICBLという組織をより制度化したものにしようということで、組織改革が行われましたので、現在ではよりもう少し厳しい、と言いましても非常にゆるやかなものではありますが、規則もできあがってきています。