それから、IMFのプログラムの作り方というか決定プロセスですね。今ご説明を伺って、私はほとんど分かりませんでしたが、客観的に、数学的、経済学的に作られているのだと思うんですね。ただ、恐らくエイジアン・バリューな人たちからみれば、そのエコノミストがどういう顔の色をしていようと、先生もそうですけれども、アメリカンKCGの人たちだと、それはアメリカン・バリューだと思っているかもしれませんよね。そういう人たちにとっては経済に国境がなくなくなっているのかもしれない。経済学にも国境がないのかもしれないし、経済学者にも国境がないのだろうかと。つまり、IMFの決定プロセスが国境を越えたプロセスになっているのかどうかどうかということの実態は、そのなかにいた人にしか分からないと思うのですが、そのへんをお聞きしたいと思います。
白井 国境を越えた?
E つまり説得力をどれだけもち得るかということですよね。
司会者 どうぞ。
F 僕は、いろいろな問題というのはオーナーシップの問題に全部集約されるのではないかと思うのですが、日本の話にしてもそれは結局同じですよね。要するにIMFはお前のとこはしっかりやれよと言っているわけで、受ける国はIMFに言われたからこうやっているわけでしょう。そうするとその間が希薄になって、誰が本当に最終的な責任をもってやるかというところが希薄になるのだと思います。
先ほどDさんが言われたように、人を出して、そこをきちんとやっていくようなプロセスが多分必要になっていて、B先生なんかが出かけていかれるのかもしれませんけれども、人が出ていくときというのは、必ず誰がどこに行くのかというところで、さっきEさんの言われたポリティカルな、国というものを背負うということが出てくると思うんですよ。だからどこかブンデスバンクの奴らばかり来ると困るから、うちからも出すかという極めていろいろな問題が出てくるわけで、今の話も確かに経済の話でも分かるのですが、あのバグワティさんが盛んにウォールストリート・財務省連合ということで話をされているように、そういう政治、経済的な部分をどう考えていくかというのが、多分この話はこれはいかないんじゃないか。それは例えば役所と銀行なり政府なりとがやって行っていてもらちがあかないので、本当にどうかなというところは実は一回、時間があったら聞いてみたいところなのですけれども。