そういうグループの一部がジャカルタで、国民協議会開催反対、ハビビ即時退任、選挙管理委員会が選挙管理のための政府の樹立ということで、初めて街頭で自由運動を始めます。これが、昨年の10月頃から始まるんですね。それに対してハビビのほうは街頭のこういう左派の活動に対しては、やはり街頭で対応しなければいけないということでイスラムの右派の連中を、これはかなり金を巻いてそれで動員した。1万2,500人ぐらいのイスラム右派の、これは本当にわけの分からない10代の後半だとか20代のはじめぐらいの若い人たちですね。
1日1万ルピアぐらいですから100円ちょっとで動員しまして、こういう連中が「国民協議会成功」と書きまして、竹槍持ってトラックに乗って毎日毎日ジャカルタの町の中を走り回るんですね。この2つのグループがぶつかってそこで何人かの人が死にます。
その結果何が起こったかというと、要するに選挙というのはもちろん今年の6月の選挙のことが念頭にあって、国民協議会で選挙を前倒ししますという決定をする。そのための国民協議会の開催だったわけですけれども、そういう選挙をやる前にひょっとしたら権力闘争が選挙ではなくて街頭で勝負がつくのではないか。そういうことになると、腕っ節の強い奴が勝つ。これは大変なことだということが初めていわば恐怖とともにみんな、特に中道の連中のなかで考えられるようになるのですね。
ですから最初に人が死んだときにハビビに対する責任追及、ヴィラントに対する責任追及が出てくるのですが、あっという間にそれが消えましてハビビがグラっときたということは1つ言えますね。そのときにあっという間にハビビ糾弾の声が消えまして、今大事なことは選挙をやることだということで、実は政府勢力と反政府の中道勢力との間で、一種の和解が成立します。その和解というのはどういうことかというと、とりあえず今はハビビ政権でいこう。街頭の政治というのはなんとかして避けなくてはいけない、むしろ来年の、昨年の11月の時点では来年の選挙を成功させることが、インドネシアを安定させる道だという合意が成立しまして、そこで新しい局面が始まるというのがここでの1つのポイントです。
ですからチガンジュール宣言と書きましたけれども、ここでチガンジュール宣言というのは4人が集まるんですね。1つはメガワティ、これは民主党の総裁、2番目にアブラハム・ワヒッド、これはナフハム・ラハという保守派のイスラムの総裁、それからアミン・ライスという改革派のイスラム派国民信託党の総裁、それからジョグジャカルタのスルタン。この4人が集まって声明を出しまして、学生の中から出てきた左派との訣別をはっきり言います。自分たちは左派とは一緒にやらないと、暗にハビビをとりあえずは承認するということを確認します。