ですから、少し繰り返しになりますが、インドネシアの地方の問題というのは2つの意味で非常に難しい。1つは、いろいろな、特に輸出部門をもっているかもっていないかでもって、例えば飢饉の影響というのはまったく違います。それから、経済政策のインパクトというのは違います。だからこれをどういうふうに調整するかということが、非常に大きい問題になってきます。
もう1つは、いくつか本当に大変な地方の問題を抱えている地域がある。ここでの扱い方によってはイリアンはひょっとしたら独立するということになるかもしれないし、アチェの扱い方次第では、中央は気が付いてみるとなんの権限も資源ももっていないということになるかもしれない。そういういわば転換期に今あるのだというのが第2の大きなポイントです。
第3番目に、それではそういう中で昨年の11月に何が起こったか。どうしてハビビは、先ほど私はいいパンチをくらってグラっときたと申し上げましたが、実際にそうなんです。ちょっと倒れかけたんですね。ヴィラントはひょっとしたら本当に解任されるという状況にもなったんですがね。何が起こったかといいますと、このときに初めて実はインドネシアで左派が復活します。この左派というのは、必ずしも共産党という意味ではありませんが、新左翼というふうに考えていただければいいと思います。スハルト体制は強烈な反共政権でして、新左翼を含めて一切左派の政党は存在を許されませんでした。
ところが、学生の中から左派のグループが生まれ始めます。これは大体昨年の2月ぐらいからですね。徐々に出始めます。そうして昨年の10月、11月ぐらいになりますと、例えば中部ジャワ、これは外島という、本当に経済危機の打撃をもろに受けた地域で、例えばジョグジャカルタそれからスラカルタという中部ジャワの古い町がありますが、ここでは学生が中心になって、革命委員会だとか人民委員会だとかが現にできております。人間の数はそれほど多くありません。学生の数で200人ですとか、そのくらいの勢力です。ただそういう人たちが実際に村に入っていって、そして村長攻撃などを支援し始めております。