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次にイリアンですけれども、ここも歴史がちょっと違います。イリアンというところは、1945年にインドネシアが独立したときに独立しません。むしろ1950年にインドネシアが国際的に独立したときに、イリアンはオランダの支配下に置かれまして、スカルノ時代の1963年になって、ようやくインドネシアの一部になります。時期的にいいますとこの12、3年の間にオランダはものすごい金をつぎ込むんですね。教育制度などを整備しまして、イリアン人というのはイリアン人で、インドネシア人では無いのだということを教え込みます。

それが残っていて、インドネシアの人たちはイリアンというのは自分たちと同じインドネシア人だと思っていて、ですからその意味では東ティモールの人間とは違うんですが、イリアンの人たちは自分たちはイリアン人だと思っている。そこで非常に悩ましい問題、つまりインドネシアのほうからいうとイリアンというのは自分たちの一部なので、独立させたいなんて思わない。そこでは出ていけということはいわない。だけれども、イリアンの人たちは自分たちは独立したいと思っている。ですからここは、これから先かなり難しい問題が起こってくる。

3番目のアチェですが、ここはアチェの人も自分たちはインドネシアの人間だと思っています。それで、インドネシアのほかの人たちもアチェ人は自分たちと同じようなインドネシア人だと思っている。そこで何が争点かというと、これは独立ではありません。むしろ例えば石油だとかガスがアチェで出ます。現在のところ例えば石油、ガスの法人税の、せいぜい10%がアチェに落ちているだけです。あと90%は全部ジャカルタが取っている。これに対してアチェの人は、これはおかしいじゃないか、80%ぐらいよこせといっているわけですね。ここで実は問題なのは、例えば石油の開発ということになりますと、その許認可権を誰が握るのかという権限の問題。それから実際に例えば法人税を取ったときに、その法人税の分配の問題ですね。そういう権限分配、資源分配の分配の仕方を、スハルト時代のように圧倒的にジャカルタに有利なやり方から、もっと地方に厚いやり方に変えよう、このモデルケースになっているのが実はアチェです。このアチェでの解決の仕方によって、ほかの地域が全部右へならえする。そういう意味でアチェというのは大事だというふうに考えたほうがいいのではないかと思います。

 

 

 

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