だからこのスハルトとスハルトの子供たちのやっているビジネスの利権みたいなやつを、癌でも撤去するように全部摘出してしまって、これで改革をやれば、もう一度インドネシアは政治的な安定と経済的な発展という軌道に戻れる。それをやるのが私の仕事ですという意味で、改革と開発というかたちで自分の政権を意義づけました。
それからもう1つは、これはもう非常にはっきりと、自分はスハルト政権から次の本格的な政権、これは総選挙をやり国民協議会を開催し、大統領選挙をやって、そのあと次の本格的な政権ができるわけですけれども、それまでのつなぎの政権という意味で、私は暫定政権であると言っている。この2つのいわば暫定性でもって自分の政権を意義づけました。
非常にはっきりしていることは、最初から彼はこの両面作戦でくるのですが、大体5月から10月までは改革と開発ということを盛んに言います。ですから、自分は改革政権だ、これをやるのが自分の仕事だとして、私はつなぎの政権だという言い方をあまりしません。ところが11月の臨時国民協議会、ここで一度いいパンチをくらってグラっとくるわけですけれど、そのあとはこの改革と開発ということをほとんど言わなくなります。かわりに自分はつなぎの政権です、総選挙をやることが私の政権の任務ですというふうに自分の大義名分を、やり方を変えてまいります。
問題は、じゃあどうしてそういう変化があったのかということになるのですが、どうも最初の改革と開発というところがある意味では非常にうまくいって、他方ある意味ではうまくいかなかったということがこの11月の変化につながるんだろうと思います。
そこでまず第1の、ハビビ暫定政権というところに入りますが、では5月から10月頃まで何をやったのかということをみますと、ハビビ政権およびハビビの同胞者でありますギナンジャール経済担当の調整大臣、それとヴィラント国軍司令官、ハビビ政権は基本的にこの3人の連立政権だと考えればいいわけですけれども、この3人の連立政権がやったことというのは基本的に4つぐらいあります。