いま三番瀬の埋め立ての問題がありますが、そういう映画をいま上映したら、こういう運動に対しては非常にPRになると思います。いまはフィルムが残っていないのか、テレビでもほとんど紹介されることがなくなりましたが、どこかへ行けば『ある日の干潟』という映画を見ることができるのかどうか、もしご存じでしたら教えていただきたい。
大野 私は初めてうかがいました。私の人脈の中で調べてみたいと思います。いい話を聞きました。ああ、そうですか。では文部省に聞けば早いですね。日本の国は縦割りですから、海は文部省は関係ないですね。
司会 それでは大野さん、あとおひとかただけお願いします。
質問 市川からまいりました。市川の海岸をいまは保全から回復へということで、あのような海岸はどういうふうにしたら回復できるものかというのが、非常に私どもの悩みなんです。それをお聞きしたいと思います。
大野 大変難しい、責任のある話です。アメリカだったら風の向き、例えば東京湾の一番湾奥の一番高い波が立つのが南西風です。北西風がいくら吹いても岸壁が壊されることはない。三番瀬はちょうど南に向いています。ですから、南西方向は浦安のちょうどベイ地区と言われる、舞浜の南北に走っている海岸線はそんなに強くなくていいと思います。東風だけ受ければいいのですから。
ですからアメリカだったら、東向きの岸壁を崩すでしょうね。そして、そこに植生というか、木によって護岸ができるようにする。いまヨーロッパでも全部やっています。海岸に強い木や自然石を積み上げて、浸透性をつくる。そうすれば理想的かもしれません。
いまのままだと人が接近できません。アクセスできない。あまりアクセスされても自然は壊れるのですが、それをどうやっていくか。昔は三番瀬のうちの藻場というのがあったんです。いま三番瀬、三番瀬と言っていますが、江戸時代は船橋沖からずっと、あの海域全体が三番瀬なんです。字三番瀬と言われていた海域です。そして、あの中に三番瀬の中の藻場と言われるところがあった。海底に藻がたくさん生えていたのですが、その藻場を復活させるべきでしょうね。
船橋浦のうちの字西浦とか字高瀬というところは、いま埋まってしまって地名だけしか残っていません。だから字三番瀬が残っているわけです。昔のことをよく調べれば、どこに何があったかわかる。目に見えないところも復活しなければなりません。