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本当にすごいのは20メートル、25メートルぐらいありますが、一般的には小さいヨットに仲間たちが集まって、ワインを持って来たり、ガーリックトーストを持って来たりして、三々五々おしゃべりをするというような遊びをしています。ですから、彼らのごちそうは水であり、景観なんです。そういうことで、それを損なうということだけで、まず埋め立ての反対運動が起こります。

それはとどのつまり、次世代の人たちの幸せを奪うものである。次世代の人たちにいいかたちのサンフランシスコ湾を残していこうということで、法律をつくりました。そこでは、さっき言った土地利用を50年先まで決めました。それがサンフランシスコ湾の湾計画です。これはすごいです。すべて絵で描いてあります。50年先まで決まっている。これは全部法律で裏付けられています。先ほど言った海への接近を妨げない。なぜかというと、あそこの海岸線はすべてプライベートで、力のあるものの所有になっていたんです。

わが国は明治以降、公有水面となり日本の持ち物だということでした。わが国はパブリックというのではなく、どちらかというとガバメント、官です。そういう中で本来ならば、わが国も1960年代からずっとそういうことがバランスよくなされていかなければならなかったと思いますが、一般の人を閉め出すことになりました。埋め立てをし産業がおこると戦後何もなくなって貧乏でした。工場もない。東京湾はそのときは最高の自然がありました。人間活動が一時ストップしましたから、昭和20年代はものすごく自然が豊かでした。

でも、それはまた幸いなことでした。戦後食糧難でお金がありませんでした。でも海岸に行くとアサリがあったり、アナジャコがいたり、小川に行くとクチボソやフナやコイもいたし、ライギョもいた。水たまりには食用ガエルもいました。戦争中、食用ガエルやライギョなどを皆放したんですね。そういうものがいたから、それらをただで捕って食べることができました。

私と同じ年代、あるいはそれ以上の方たちは戦後のご記憶があると思いますが、古橋広之進さんが世界のチャンピオンになったとき、彼はどういう食生活をしていたかというと、カエルで強くなった。鳥と同じ味がします。カエルを食べて育ったんです。そういう時代でした。

では、これからはどうしていこうかということになると、三番瀬は残ります。1700ヘクタールで幕張副都心が420ヘクタールですから、広さはあの4倍あります。これはかつては船橋浦、いまは市川船橋沖に位置しますが、これが残ります。隣にはディズニーランド、その西側に埋め立て13号地があり、東へ行くと幕張メッセがあります。この13号地もディズニーランドも、幕張副都心もすべて人工的施設です。その中間に今度、保全計画をきちんとやって、江戸時代に近いような環境の東京湾を出現させたとすると、これは最高のゾーニングになります。

 

 

 

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