「本全集のため、関東、北陸、近畿、東海地方を空から見て回った。阿川弘之」と書かれています。緑の少ない東京と書いてあって、最後のほうを読んでみます。「東京湾の上に出る。東京はいま土地を求めて海へ海へと伸びているようだ。埋立地の先にさらに泥と土の泥土地帯が広がって、新しい埋立地ができつつある。パイプから噴き出される泥が白黒のヒトデのような模様を描いて、海を埋めていく。釣り舟は泥色の干潟の上に乗っかっているように見える。東京湾はどこまで行っても泥の色、泥の色の連続で、いまに青い海が見えてくるかと思っているうちに、やっぱり泥色の千葉県側の岸まで飛び越してしまった。千葉から五井のあたり、このへんも懸命に海に向かって伸びている。
千葉というのは、海水浴と潮干狩りとさつまいもと南京豆の県ぐらいに思っていると大変な時代錯誤で、いまその東京湾岸は一大重工業地帯に変貌しつつあるのがはっきりわかる。しかし、この泥色の東京湾は何とも海としてはありがたみのないもので、いっそ船の通る道だけ残して、さっさと全部埋め立ててしまったらよさそうな気がする」。こう書かれています。
私が青雲の志を持って、これから世の中へ出ていこうというときです。東京湾で生きていこうと思っているときに、こういうものが出ているのです。多くの人は東京湾に対して無関心です。多くの人は、その途中で東京湾は死んでしまうと言うわけです。我が家はずっと漁師を続けていて、築地に魚を出しています。
1970年代に入りますと情報化社会と言われます。しかし、情報は全然出ていない。私は情報化というのは情報を集めるだけではなく、情報を発信していかなければと思いました。それで、新聞紙上、雑誌、当然テレビ、本を書くということで、少しずつ皆に分かってもらうということをやってきました。
ここで一番アメリカから学ばなければならないのは、海岸線は漁師だけ、あるいは港湾事業関係者だけのものではありません。スカンジナビア半島、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、そしてデンマーク、オランダ、北欧へ行きますと皆バイキングの子孫ですから海への想いは伝統的なもので海岸線は人が憩う、素敵なところになっています。港は特にそうです。
アメリカもそうですね。さっき言ったサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ、あるいはサンディエゴへ行ってもそうです。本当に多くの人が海岸を散歩できるようなシステムになっている。それも1960年代からアメリカではそうなっていくんです。