このテープをつくるときに、TBSのスタッフの方が見えました。なぜ私のところへ来たかといいますと、私は幸せなことに1982年、昭和五十六、七年に『サンフランシスコ湾のベイプラン』という本に出会いました。その本の翻訳がわが国にあると思ったのですが、ない。
しかし、バークレー大学にいた矢ヶ崎典孝さんという若い先生、彼がもう勉強が終わり、3カ月後には筑波大の先生になるそのブランクのときにちょうど御紹介されたものですから、彼に翻訳を頼みました。サンフランシスコ湾を詳しく知っている方で、専門が地球科学系という学問をやっていた方です。ですから最高の適任者だと思い、その先生に本を翻訳していただきました。
私は国立図書館、国会図書館、千葉県の議会図書館、県立図書館、船橋市の図書館を全部調べたのですが、そういう書物はありませんでした。多くの人が英文の本を見ていると思うんですが、翻訳本はなかった。私はそれを翻訳して、自分の知識にしようと思ったのですが、本当に「ああ、こういうことをやらなければだめだ」と思い、すぐにそれを全部編集し直して無料で配りました。全部で550部です。なぜ無料だったかといいますと、そこでお金を儲けて著作権とか何とか面倒なことがあると困ってしまう。とにかく早く東京湾を救わなければならないと思いましたので……。
ものごとというのは、皆さんもそうですが、いままで蓄積した自らの物差しがあるんです。今日、なぜビデオをお見せしたかというと、何か一つの問題を考えるときに、同じレベルあるいは共通の知識がないとなかなか話が進まない。いろいろ話を聞いても、想像やその人の経験や物差しでいくとなかなか測り切れない。
私は、最初に紹介がありましたが、昭和30年代の初めからプロの漁師になりました。そのころちょうどわが国は海洋国から工業国家へと脱皮する時代でした。それから埋め立てがさかんに行われてくる時代です。そういう中で、私は父の仕事を手伝って漁師になるわけですが、そのころの話というのは大変むごいものもあります。
さっき気がつきましたか。「ベイ・オア・リバー?」で?がついていたでしょう。彼女たちは、このままサンフランシスコ湾をずっと埋めていくと湾は川のようになってしまう。
あなたたちは湾を望むのか、川を望むのか。そういうキャンペーンで、埋め立ての反対運動を1962年にやりました。これはバークレーの沖合なのですが、4000エーカーといいますから、ちょうど三番瀬と同じ広さで、1700ヘクタールぐらいです。その埋め立てをやるというのが1962年の話で、このときの大統領はジョン・F・ケネディです。